2月にインドに行った時に、チベット系インド人のスタンジンにこの本をもらった。
Dzongsar Jamyang Khyentse
Shambhala (2008-08-12)
売り上げランキング: 110,189
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この著者はインド系のアメリカ人で、欧米で既に活躍されているお坊さんである為、英語が達者である。その為、現代のポップ・カルチャーの例を上げながら、仏教が何かを軽く説明している。
軽く説明をしているといっても、タイトル通り、「何をなせていたら仏教徒か」を章ごとにきちんと話している。そして、ここで説いている仏教とは「お釈迦様が見つけて真実」であり、その後宗教として発展した仏教ではない。この本でも、仏教は宗教では無いとしている。
この本によると、下記の4点の一つでも同意できなかれば、その人は仏教徒ではないとしている。
- All compounded things are impermanent.
- All emotions are pain.
- All things have no inherent existence.
- Nirvana is beyond concepts
直訳するとこんなところでしょうか?
- すべての複合物は一時的である。
- すべての感情が苦痛である。
- すべてのものには固有の存在しない。
- 極楽(悟り)は概念を超えています
意訳するとこんなところですかね?
- 形があるものはいつか壊れる。
- 感情の捕らわれていると辛い。
- この世の中に変わらないものなど存在しない。
- 苦しみの原点は、国、文化、宗教に影響されない。
この本はこの4つの項目に付いて書かれているだけであり、一切禅や瞑想の方法については触れていない。この4項目が仏教では真実であり、これがあるから最終的な真実につながるのである。つまり、「自分を捨てることが、苦しみから逃れる」事である。
多分この4つの中で、2番目の「すべての感情が苦痛である」が一番受け入れがたい項目であろう。うれしい感情が何故辛いのかと。詳しくは本を読んでもらいたいが、すべての感情は、自己にしがみついているという意味では利己主義から生まれている。その為、それでは自分を捨て切れない。だから、苦しみの原点から離脱出来無いことを意味する。つまり、悟りは開けないとなる。
それから、この本で興味深かったのは、何故、仏教徒は他人に優しかったり、菜食主義者であったりするかの記載である。キリスト教では、「博愛」により他人に優しくなる。倫理が行動の原点である。しかし、お釈迦様の仏教は宗教ではないので、倫理により「他人に優しかったり、菜食主義者」であるわけではない。
例えば、「肉を食べる」とは、「他の命を摂ってまで、自分を長生きさせよう」とする「自己にしがみついている」行為であり、仏教の真実に反する。また、「自己にしがみついていないのなら」、自分の物に執着する必要もないので、「他人に物を分け与える」事にも苦痛は存在しない。
とにかく、英語が読める人や、宗教の色が無いお釈迦様が見出した仏教を覗いてみたい人には、良い本です。
これは本の中に書いてあったお釈迦様の仏教を記載した書評です。日本の仏教が宗教でないとは言っていないので、お坊さん怒らないでくださいね。だれか、日本語に翻訳すればいいのにね。