2009年11月26日木曜日

ODAと研究費の事業仕訳

事業仕訳が始まっている。

僕の分野も環境や開発費の削減が、今の焦点になっている。僕は日本の仕事をしていないので、第三者的に見ているので勝手なことが言えるが、当事者には大変だろう。

しかしある意味仕方ない部分もある。日本のODAはあまりにもビジョンが無かった。「ひも付き」、「国益主義」など批判を受けるが、他国のODAは「こうしたい」、「この分野に力をいれる」とした、ビジョンがある。

日本のODAも取り組みの目標を持つが、「頼まれるとやってしまう」性質がある。結果的に「何でも屋のODA」になってしまっていた。さらに、これは「ODAの効果の透明化」の為もあるが、他国のODAと協力してこなかったのも問題だろう。欧州のODAは棲み分けと協力体制が整っている。こうすることにより、ODAの予算を削減しつつ、効果的なODAを増やすことになる。


それから、研究の分野の削減はつらいだろう。大学の先生もサポートを削られ、研究どころではなくなっているといっていた。この分野の削減も仕方ないだろう。


しかし、削減する箇所を先端技術の分野でなく、無駄な研究機関の廃止でどうだろう。国の研究機関は本当に山のようにある。1省の1課に一個あるのではないかと言われている。天下り先にもなっているわけだし、無駄な研究施設は廃止するべきだろう。


しかし、詰まるところすべての研究と研究者を一国の公的資金でまかなうのは限界だ。

僕の研究所も国からの予算は15%以下である。海外の有名どころも、そんな割合と聞いた。日本の研究所はほぼ100%国からの予算でやっているところがほとんどだ。


やはり、海外の競争資金や民間の資金をもっと取って研究を続けることにしないと、これからは日本の研究所も生きていけないだろう。

これは、研究者の問題も同じである。「博士をとったから、仕事与えないといけない」、「仕事が無いから国が給与をだす」この仕組みは完全にグローバルスタンダードをはずれている。博士をとったから研究所にいるひつようもなかろう。

鳩山さんも自身が工学博士なので、そんなことを思って削減したのかな。