2010年11月24日水曜日

気候変動の脆弱性指数から、社会科学モデルの3つの問題点を見る ~データの存在、数学的問題、理論の間違い~
























世界銀行がポツダム気候研究所と製作を報告書が面白かったので、感想を書きつつ社会モデルを作るときの問題点を3つ指摘する。

今回取り上げるレポートのタイトルは:


How inequitable is the global distribution of responsibility, capability, and vulnerability to climate change: A comprehensive indicator-based assessment。


平たく言うと、気候変動へ責任、能力、脆弱性のの分布がどのように世界的に不公平であるかを、包括的な指標に基づく評価でおこなう。

PDFをここからダウンロード出来る。


本題のタイトルより、僕が面白いと思ったことは、量的な社会科学の調査のいい加減さを指摘しているところである。このレポートは過去の気候変動に関する脆弱性評価やそれに関連がある量的な調査を比べて、その優劣を議論している。

このレポートでは指数を使って国ごと脆弱性を比べている。脆弱性とは非常にローカルな事なので、国レベルの脆弱性を調べてもあまり役に立たないと思われるが、国際レベルでの適応策に対する資金の配分などに役立つと思われる。しかし、過去に作られた指数をもとに国際的に資金を比べる事に問題があるのではないか言う事にがこのレポートの趣旨である。


このレポートで取り上げた問題は、僕が常に言っている「社会科学モデリングの3つの問題」なので、それに組みなおして説明する。


データの問題

まず、社会もでるつくるのに必要なデータが存在しないことが往々にしてある。マクロレベルにデータが揃っていない場合。データを集めるか推測する必要がある。経済的なデータはある程度揃っていたとしても、それ以外はなかなか揃わない。経験から、経済以外で一番ちゃんとしたデータが有ったのは交通。その為、多くの行動学者は交通を研究フィールドにしているのだと思う。

脆弱性評価でも同じ様に、必要なデータが揃っているとは考えられない。実際、このレポートで取り上げられているDisaster Risk IndexやIndex for Social Vulnerability to Climate Change for Africaでは多くのデータはエキスパートからの知識に頼っている。つまり、推測でしかない。この様に重要な部分が推測のデータから得られた結果は、推測でしか無いので、調査の信ぴょう性が疑わしい。

この場合、どんなにモデルが優れたとしても、モデルを通す必要性自体が疑われる。


数学的な問題

広く評価されているレポートでさえ、初歩的な数学の間違いを犯している。検証(Varification)に問題があると言うことだ。例えば、Yahu等は複数の脆弱性評価の指数を比べたとき、基本数(Cardinal number)である気温と順序数(Ordinal number)である適応能力をごっちゃにしてモデルしている。


V = dT / dAC

dTが基本数の気温の変化だとして、dACが順序数の適応能力の変化だとする。そして、それらを割ったものから脆弱性を評価している。これは全く意味をなさない。dTを順序数にでも変換しておくべきであったと思う。


理論的な問題

これは同じ検証問題でもValidationと言われることである。Varificationの検証が「モデルを正しく作ること」であるのに対して、Validationの検証は「正しいモデルを作ること」にある。

例えば、このレポートによると皮肉にも、脆弱性指数と明確しているものよりも、国連がだしている人間開発指数(HDI)の方が信ぴょう性がある脆弱性の指数であることになる。しかし、かといってHDIが脆弱性評価の指数になるかと言ったら、そこには理論的な問題点がある。昨日のブログでも書いた事だが、現在IPCCで定義されている脆弱性とは、人間社会の「潜在的」な脆弱性だけでなく、気象モデルなどの検証を踏まえた「結果」をみる必要がある。つまり、HDIだけでは、気候などの外的な要因が含まれていない。つまり、HDIは理論的には脆弱性の指数には成り得ないのである。


社会モデルを専門としてきて常にぶつかることは以上の3つ。僕は現地調査やデータの収集のデザインもするので、分かることだが、社会調査では特にデータの質を過信するべきではない。特に、途上国から得たデータは出処を一度確認したほうがいい。データが間違っていたら、まともな結論にないたらない。帰納的推理(inductive reasoning)から社会を見るには避けて通れないことだ。