2009年9月24日木曜日

住みたいアフリカの国

欧州の後に、今回もアフリカの国をまわった。タンザニア、モザンビーク、南ア。この中でダントツに金持ちなのが南ア。僕が移住して一番裕福に暮らせるのも南ア。

だけど、あまり住むのは乗り気ではないな。白人の搾取感がすご過ぎる。南アの中間層は日本の金持ちの生活をしている。

まだ、タンザニアやモザンビークのほうが住んですっきりしそうだ。治安のタンザニアのダルサラームの方が数段よいし。

いまから、飛行機にのってようやく日本に帰る。これまた長旅だ。

英国民間の気候変動ビジネスの動向

1ヶ月ぐらい続いた欧州とアフリカの出張ももうすぐ終わる。移動しているともうだいぶ昔の事に感じてしまうが、3週間前はロンドンにいて、日本の関係者を連れて、気候変動ビジネスをしている会社を二社訪ねていた。

どちらも知り合いがいるので紹介したところだが、どちらも興味深いビジネスをしているところだ。CarbonTrust社は元々は、政府機関だったが、今は国からの委託されて、気候変動ビジネスに投資している機関だ。

そして、彼らが投資した分野に民間機関が更なる投資をする。CarbonTrust社から融資を受けたということで、民間機関も「お墨付きがでた」と安心して投資をする仕組み。今のところ、CarbonTruust社が1投資すると、民間機関は10投資するらしい。



それから、CarbonLabelなる物を作って、そのシンポルを商品に貼り付けることによって、更なる「お墨付き」ビジネスも展開している。いわゆる日本のJISマークを民間機関が気候変動バージョンを作ったのである。民間機関がこの様な事をして、ディファクトスタンダードになることはそれほど珍しいことではない。英国のソイルアソシエーションが作った有機商品マークが有機商品の販売ではディファクトになっている。

日本でも、似たように取り組みがおこなわれており、ある程度他国と協力しておこなっているようだ。違う点は日本は当然のごとく国がイニシアティブを取っておこなっている。変な方向に行って、日本独自の二酸化炭素マークにならない事をねがう。


それから、今は中国とのビジネスに力を入れている。日本では知的財産の漏れが心配で進出を躊躇している節があるが、彼らにとって中国は、「忘れてしまうにはもったいない」大きさの市場だと言っていた。

もちろん、彼らも何も対処していないわけではない。

- 最先端技術は出さない。そこそこ枯れた技術でも中国では有効。
- 中国にも投資させる。同じ船に乗せることにより、技術が漏れることにより、事業がうまくいかなくなるリスクを共有させる。
- 政治的な圧力を掛け、上から条例や罰則などで、技術の漏洩を阻止する。

それでも、英国はリスクテイカーだと思い知らされる。

まとめると、やはり英国の商魂の強さがある。

- 途中半端でも、危なくてもとりあえずはじめる。
- ディファクトスタンダートを取るのがうまい
- 民間主導

2009年9月23日水曜日

南ア北部の村に再来

南ア北部にあるツバチ地区に来ている。ここに来たのは3度目。来るたびに急速に開発が進んでいるのに驚く。ここはレアメタルがたくさん取れる地域の為、鉱業が盛んだ。今現在17の鉱山があり、2012年までにその数は27になるらしい。鉱山のほとんどはプラチナで、他にクロムなどがとれるそうだ。世界的な経済不況も影響したといっていたが、数の増え方を見るとそうは思えない。

以前来たときの問題点として:

- 鉱山と村人の間での水不足の問題
- 政府間のコミニュケーション不足
- 鉱夫からのHIV・AIDSの感染問題

などがあげられたが、多くの部分で改善に向けて努力が進んでいるようだ。


かんけいここに来る前に、同僚の親戚の家に寄ってきたが、プール付きの家の広さに驚く。豊かさとはあれを言うのだと思った。あれが、南アの白人社会では特別金持ちではないところが、南アのすごいところだ。貧富の差が激しすぎて、日本の格差問題がかすんで見えてしまう。


2009年9月20日日曜日

途上国で調査をするときの注意点

自分の経験から:

  • アンケートは文字を読める人が少ないので、調査員が個別に聞いてまわる方式がよい。
  • シンポルや絵に頼るのがよい。
  • 数字は大体みんなに読める。
  • 確率の概念も説明しだいで何とかなる。
  • 調査員のトレーニングは念入りに。
  • 調査員は以外に高い。大学生がよい。プロは本当に高い。
  • 報酬は日当にした方がよい。報酬を調査数ベースにすると、ごまかす人がでる。
  • 調査の前に権力者、村長、民族のチーフ、市長に許可をえる。
  • 約束の時間に遅れるのが当たり前だから怒らないこと。一時間ぐらい平気でおくれる。3時間待ったこともざら
  • 調査員に調査に関わった「証明書」をあげると喜ぶ。彼らの、将来の仕事につながる。
  • 彼らの文化を否定するような行為、発言はしない。例えば一夫多妻制に嫌な顔しない。
  • 一つの質問に10分ぐらい返答があることがある。我慢してまつ。通訳がそれを30秒で返してもそんなもの。
  • 貧しい村ではお腹が減っても持参したお菓子や食べ物をぱくつかない。彼らはもっとお腹が減っている。
  • 村での集団インタビューではお菓子などを振舞うと喜ばれる。
  • 写真を取られることが嫌いな人もいるので気をつける。モザンビークはかなりダメ。南アはウエルカム。
  • 思うどうりに事が進まないことが多いので、フレキシブルに。
  • お酒を飲める人を連れて行くと助かることがある。内モンゴルでは酒豪の同僚に助けられた。
  • 米ドルが大体通じるが、現地通貨をある程度持っておくこと。クレジットカードがほぼない国もざら。僕は大体米ドル、ユーロ、ポンドはもっている。
  • 夜の調査は現地の調査員でも嫌がる人が多い。
  • 通訳が要ると良い。英語が話せる通訳はたいてい探せる。アフリカでは日本語は役立たず。
  • コンピューター・ウイルスはほとんどのPCにいると思っていたほうがよいので、調査表を印刷するために気軽にUSBメモリーなどを回さない。LinuxやMacだと安心。僕はLinuxとWindowsのDualブート。
  • 予防接種や薬などは準備。最低限、黄熱病のA型肝炎と予防接種とマラリアの予防薬や準備。マラリアはマラロンが良し。日本は未だにラリアムが一般的みたいだが、副作用が強く、効かないマラリアもいる。
  • 準備はしても、病気になることはあるので覚悟。インドネシアで足が像のように腫れ、南アフリカでも現地のダニ熱に犯された事。
  • できれば、アフリカの飛行機は避けた方がよい。安全度が劣る。

とりあえず、ざっと気づいて点を書いてみた。


2009年9月19日土曜日

寄付された靴の行方と開発の「押し付け」

確か、日本を離れる数週間前にQちゃんが靴をアフリカの子供達に寄付する内容のTVを見た気がする。そんな事を今朝モザンビークのマプトを歩いていて思った。

世話をしているモザンビークの修士生に連れられて街を歩いていた。

彼が「靴がほしい?」 「ヨーロッパから来ているいい靴があるよ」といって指したところには、道端に靴を広げているブラックマーケットがあった。海外から寄付された靴は貧困に回らずに売られている。何人もが同じような事をしている。

本来行くところに物が回らないのが、途上国である。

しかし、それほど問題だとは思わない。ブラックマーケットをしている人たちも、裕福層には見えない。貧困層も寄付された靴を売ってしまうらしい。靴よりももっと必要な物を自分の判断で買うのだろうか。

開発関係の仕事をしていて、「何の為の開発なのか」と思うことがある。靴を送るの悪くはないし、靴の作り方をおしえるのも良いと思う。ただ、「意味無く」結果を「押し付け」ているのは問題だと思う。全てはお金のためなのか?

そこで、「環境」や「持続可能」などの理念が入ると「押し付け」に「意味がある」様になるのではないかと最近思う。

少し、まともなはなし。



関係ないが、その後排気ガスが充満している小型船に乗せられて湾を越えたが、あれは堪えた。未だに気分が悪い。


2009年9月18日金曜日

モザンビーク:マプト

アフリカをいろいろと回ったが、思えば英語があまり通じない国に来たのは初めてだ。モザンビークはポルトガルの植民地であったため、英語はあまり話されない。その為、調査や投機も他の国より進んでいないと現地の人がいっていた。その真偽の程は定かではないが、思ったよりも開発されているように思う。

ポルトガルの植民地の政策は、イギリスなどと違い「直接的」にポルトガルが住むために進められた。その為インプラなどはかなり進んでいる。インドネシアなどでも似たようなことが見られる。

ここでも中国の進出が進んでいるらしい。モザンビークないで「ミニ中国」を作る計画があったらしいが、政府が土地を売らなかったそうだ。しかし、そのうち何らかの手を借りて入り込んでくるだろう。


15年前海外を歩いていると、「日本人か?」と聞かれたが、最近は「中国人か?」と間違いなく聞かれる。世界進出度や注目度では、日本は完全に中国に抜かれてしまったと思う。そういえば、2週間前に日本の関係者を連れて英国のCarbonTrustをたずねた時も、関係者は「大事な契約ができたので、中国に飛ばなくはならなくなった。ごめんなさい」とドタキャンされてしまった。そうゆう時代なんだと思うけど、少しさびしい。


2009年9月17日木曜日

タンザニア、ダルサラーム

今、タンザニア出て、モザンビークに向かっている。僕の研究所はタンザニアにオフィスがあるので、関わりは強いのだが、今回初めて訪れた。

他のアフリカの国と同じように、陽気な国柄のようである。車の渋滞はものすごく、滞在中は一日最低4時間は車の中で過ごすことになった。日本と同じ右側が運転席になるために、ほとんどの車が日本からの輸入車である。ものすごい数の車が輸入されているが、道路の数がそれほど無いためにこれほどひどい渋滞になるのだろう。一番人気は、車高の高さと安さでトヨタのRAV4。もちろん、トヨタのランクルもアフリカのどこででも人気は絶大だ。特に、日本のディーゼル規制でディーゼルのランクルが今は手ごろな値段で入ってくるようだ。


外国人の物価は思いの他高い。タンザニアオフィスに住んでいる同僚の家は月3500ドル。東京並みに値段ではないだろうか。外国人は、家を建てることはできないので、安全な地域の住宅は常に不足しているらしい。反対に、需要はすごいので、結果的に高くなってしまうそうだ。


日曜日に半日休暇をとって、ダルサラームから20分くらいの離島に行ってきた。船が沖に行くと、波が出てくるのがわかったが、サーフボードがないのでサーフィンはあきらめていたが、島に着くとぼろぼろのレンタルサーフボード発見。ワックスもリーシュコードもないボードだったがないよりましだ。すぐに借りて波を探してみた。船が着いたところが、北の先端で、外海に当たる、東側の方向にパドルすると、うねりが回り込んで、沖合いにある、岩からグーフィーの波がブレイクしていた。余り期待はしてなかったが、思ったよりはロングライドできる波だった。多分、名前もついていないポイントだろう。

ダルサラームは渋滞が緩和されて、外国人向けの住宅の供給が安定したら、アフリカの中でもかなり住んで見たい都市である。







2009年9月11日金曜日

ロンドンで気候変動の会議

ロンドンで気候変動の会議(かなり内輪)に出席。離島に住んでいるとこの様な会議に出ることが難しいのが残念。今回もいろいろ学ぶことが多かった。

+気候変動と移民の問題
+「気候変動への適応策」の定義の問題
+技術移転

この3つが一番面白かったかな。「気候変動への適応策」の定義がはっきりしていないことは、ODAとの線引きやODAへのメインストリーミング化を難しくしている。「よいODA」と「よい適応策」の違いは何かを聞かれて、明確に答えられる人はいないだろう。

技術移転の失敗はある。例えば、運河をジグザクに地元民が作っていたのに、宣教師が「まっすぐに作れ」と指導した結果、土地の栄養分は全て流れてしまった。

さて、ロンドンを昨日飛び立って、たった今南アに到着。JICAのオフィスで今お世話になっている。