杉山大志氏は適応研究をされている方ではないが、非常に頭の良い方で、資料の内容も筋が通っていた。僕が重要だと感じが点は二点:
- 地球的な気候変動の調査研究をする場合にも、地域的な開発や環境変化の重要性も取り入れる必要性
- シュミレーションに頼らずに、過去の自然環境への適応から学ぶ環境考古学の視点の重要性。
この視点がある理由は、以下の3点の要素があるからである:
- 科学的には、気候変動の不確定性が大いに存在すること
- 気候変動以外にも人間生活や生態系への影響は存在する
- そして、それらの気候変動以外の影響自体が重要度の高い問題点があること
これは僕の視点と似ています。適応策のアプローチは大きく分けて二つ有ります。ひとつは気候変動モデルの精度を上げて、それに適応する方法を考える。もう一つは気候変動を含んだ潜在的な問題点を解決する。これは数日前に脆弱性の定義で説明した「潜在的な脆弱性」への対応です。この二つ目の概念によると、気候変動モデルの重要性はそれほど大きくなくなります。
僕が思うに、杉山氏はこの「潜在的な脆弱性」への対策の為、開発や地域的な環境変化の取り入れと、気候変動シュミレーションモデルに頼らない対策を説いています。そして、これは、適応研究で言われている「メインストリーミング化」と「コミュニティベースの適応策」にうまくマッチする考えです。そこを踏まえて、もう少し書いてみます。
メインストリーミング化
気候変動は不確定であり、その場合適応策の必要性も不確定になります。そして、開発問題でもっと大事なことがあるでしょうし、地域的な環境破壊を含めた変化には疑いの余地は有りません。そして、それらの事を考慮に入れることを「メインストリーミング化」をいいます。例えば、灌漑施設などをつくり農業の効率を上げる事は開発であり、また気候変動により水資源が少なくなってきたば場合それは有効な適応策になるでしょう。また、その地域の環境にあった農業を進めることは効率性でもあるでしょう。つまり、開発や環境変化を取り入れる結果が適応に成るかもしれません。酷な言い方をすると、仮に気候変動がなかったとしても、持続可能性な発展は遂げる事ができます。そして、気候変動があった場合、さらなる利点を得られることになります。気候変動に不確定性がある様に、気候変動懐疑論も絶対的なものでは有りません。科学とは常に、白黒はっきりしなく、灰色である事を理解するべきです。その灰色の結果を歪めた報道がなされたとき、科学は注意をしめすべきですが、白黒の判断するのは、科学者ではなく政治家や実業家などの意思決定者です。
コミュニティベースの適応策
話が、すこしそれましたが、もう一点、杉山氏が述べている「環境考古学による適応策」ですが、これは現在言われている「コミュニティベースの適応策」に合わせるとトレンドに合うと思います。つまり、過去の経験に基ずく対応策を見つける。その経験とはその地域に特性にあったものであるはずであるし、環境変化を取り入れたものでもあるはずです。大規模灌漑施設を仮に途上国に一つ作ったとしても、それを別の地域に転用する技術や資金はないでしょう。それなら、気候の変更にあった農業に変えたほうがいいかもしれません。本レポートではヨーロッパで気候の変化によって、ぶどうの栽培地域が変化したことを述べています。その方が、低コストで無理の無い適応策かもしれません。つまり、考古学などから過去の適応策を学ぶように、コミュニティの過去の経験から、無理のない適応策にを考える事が、先進国から大規模な適応技術の移転をするより、良いかもしれません。そして、これは適応だけでなく開発は、環境問題への取り組みでも同じでしょう。そして、このコミュニティベースの適応策とメインストリーミング化の問題がつながる訳です。
政治判断は別として、科学は盲目的に適応策研究について行うのでなく、広く環境変化と開発の話を取り入れた気候変動への取り組みがCOP16で話されるいいですが、これはサイドイベントでの話題でしょうね。それでは。