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2015年2月4日水曜日

脆弱性評価の一般化: Vulnerability Sourcebook: Concept and guidelines for standardised vulnerability assessments



日本語の説明は英語の後にあります。

The sub-title "standardised vulnerability assessments" is very catchy as this has been talked for a couple decades.  So, I reviewed this. It is easy to read this report. This is the introduction:

In recent years, vulnerability assessments have increasingly been used to identify climate change impact hotspots and to provide input for adaptation and development planning at local, national and regional levels. Vulnerability assessments assumed particular significance in the context of the National Adaptation Plan (NAP) process. This process was established in 2010 as part of the Cancun Adaptation Framework to complement existing short-term national adaptation programmes...

Basically, this is similar, if not the same, approach as I do a vulnerability assessment.  I like the report that it use IPCC AR4 definition as I think it is more concrete than AR5.  Also, I like that the report have a critical section for weighting/aggregation. The hardest part of using indicators is weighting between sub-indicators (exposure, sensitivity, and adaptive capacity).  When I checked weighting, most projects use a no-weighting approach, but no-weighting is actually "equal-weighting" = 1:1:1.  Like this report mentioned, technically there are several approaches to estimate weights.  But, most use equal-weighing.  Why?  The stakeholders for these three sub-indicators are different, so there could be political issues to define weights besides technical difficulties.  I found this issues when I work some countries.  This report could write more on the weighting.

I have a bit more critical reviews on the report.  The report talked about the differences between AR4 and AR5 definitions, but it is a bit biased toward AR4.  The AR4 definition also has disadvantage such as the sensitivity.  Sensitivity is more difficult to define than exposure or adaptive capacity.  I think that could be a reason, sensitivity is omitted in AR5 (combined it with the AR4-exposure to make the AR5-exposure).  Having said that, sensitivity really determines the purpose and target (exposure unit) of vulnerability assessment, so it is very important.  I think the report does not explain that.

Also, I think what practitioners are interested is operational level techniques to assess vulnerability especially on adaptive capacity and this will be very hard to standardise.  So, this is the reason UNEP started PROVIA http://www.unep.org/provia/  PROVIA does not standardized to one method, but gathers a lot of methods and suggest which method is more appropriate than others for a specific situation.

As Indicator, it will be good to mention some other indicators. For example, ND-GAIN is popular as a country level indicator although they are talking to use it at lower level http://index.gain.org/ Also, OECD have a good guideline to make indicators.


日本語での説明

副題の「標準化された脆弱性評価」は十数年議論されてきた内容で、非常にキャッチーでしたので、レビューをしてみました。簡単に読める内容の報告書でした。紹介文は以下の通りです。

近年では、脆弱性の評価は気候変動の影響のホットスポットを特定し、地域、国、地域レベルでの適応と開発計画のための入力を提供するために使用されています。脆弱性の評価は、国家適応計画(NAP)プロセスのコンテキストで特定の重要性を仮定します。このプロセスは、既存の短期的国家適応プログラムを補完するカンクン適応フレームワークの一部として2010年に設立されました...



脆弱性評価を行う時は、基本的に、これは同じような(全く同じでないなら)アプローチで行います。この報告書は、AR4の定義を使います。私もIPCC AR4の定義がAR5より具体的なので、今のところAR4の定義を使います。この報告書は、重み付け/集約のためのクリティカルセクションがある事に好感を持てます。指標を用いる事の難しさは、サブ指標「露出(Exposure)、感度(Sensitivity)、および適応能力(Adaptive capacity)」との間で重み付けを行うことです。以前に重み付けをチェックすると、ほとんどのプロジェクトでは、無加重アプローチを使用しますが、これは無加重ではなく、「等しい重み付け」=1:1:1です。この報告書が示すように、技術的に重みを推定するいくつかのアプローチがあります。しかし、ほとんどのプロジェクトが等しい計量を使用します。なぜでしょうか?これらの三つのサブ指標の利害関係者は異なっているので、技術的な問題以外にも、重みを定義するために政治的な問題があるかもしれません。私はいくつかの国が作業する場合、この様な経験をしました。このレポートでは、もっと重み付けの詳細を書くことができたかもしれません。

もう少し、クリティカルなレビューをしてみましょう。報告書は、AR4とAR5の定義の違いについて話しましたが、AR4に偏重していると思います。 AR4の定義もまた、感度の難しさなどの欠点を有します。感度は露出や適応能力よりも定義することがより困難です。私はそれが(AR4露出と感度を組み合わせてAR5露出を作った)、AR5で感度が省略されている理由かもしれないと思います。感度は実際に脆弱性評価の目的とターゲット(露出ユニット)を決定するので、それは非常に重要であります。レポートはそれを説明していないと思います。

また、実務家が興味を持っていることは、運用レベルの脆弱性特に適応能力を評価するための技術だとおもいます。これを標準化するのは非常に難しいだろうと思います。だから、これは国連環境計画(UNEP)がPROVIAを作った理由だと思います。PROVIAは一つ方法論に一般化するのではなく、多くの方法をを収集し、ある特定の条件でどれが他のものよりも適切である方法を示唆しているいます http://www.unep.org/provia/

指標としては、いくつかの他の指標に言及しても良いと思います。例えば、ND-GAINは、国レベルの指標として人気があり、彼らはまた、より低いレベルでの使用を計画しています。 http://index.gain.org/ OECDも指標を作るために良い指針を持っています。


2014年1月13日月曜日

映画評:「マーヴェリックス/波に魅せられた男たち [DVD]」 ~「乗るか乗らないか」、「落ちるか落ちないか」、もしくは「生きるか死ぬか」の純粋な二者択一の世界~





20年前の、あのオーストラリアの自転車一周の後に、少し古い英語のサーファー・マガジンを紀伊國屋で買って来て、英語の勉強にテキストにしていた。その時、このバカでかいマーベリックスの波からワイプアウトする写真を見た。もしかした、まだこの雑誌は自転車日記が収まっていた書棚にまだあるかも知れない。



「ジェイのように生きろ(Live like Jay)」もカリフォルニアでサーファーの合言葉になっているとも、聞いたことがある。


しかし、それがこの映画「マーヴェリックス/波に魅せられた男たち(原題: Chasing Mavericks)」のジェイ・モリアリティであるとは、映画の最後の30分まで気付かなかった。





  マーヴェリックス/波に魅せられた男たち [DVD]


この映画はカリフォルニアに実際に存在するマーベリックスという大波がまだ一部のサーファーにしか知られていなかった時代に、高校生のジェイがその波に挑戦するスポ根映画であり、家族愛や友情をおりからめた青春ストーリーでもある。

奥さんも「うるっと涙ぐんでしまった」っと言っていたので、サーフィンしない人でも、甘酸っぱい青春スポーツ映画として楽しめるはずだ。しかし、僕は自分の経験と重ねて、心臓バクバクの純粋なサーフィン映画として引き込まれた。

普通のサーフィンは波の上をキャンパスとして弧を描くスポーツであるが、映画でジェイの師匠のフロスティが云うのように、大波のサーフィンはサバイバルを突き詰めるライフスタイルだと思う。大波に乗る時には、「乗るか乗らないか」、「落ちるか落ちないか」、もしくは「生きるか死ぬか」の純粋な二者択一の世界だ。

僕はマーベリックスの様な波には乗ったことは無いが、ビッグウェーブ(大波)サーフィンはどのレベルのサーファーでも語れることだ。初心者には、1フィート(30cm)の波でもビッグウェーブで、「生きるか死ぬか」の二者択一でサーフィンをしている。もう少しうまくなれば、波の上で曲がることが出来るようになるが、身長より大きい波になると、とにかく乗って、落ちないように、低く、速く波と対峙するすることになる。



これが昨年私が乗って写真に残っている一番大きい波だ。



この時の事は良く覚えている。この時は、二者択一の思いだけで雑念は全く無い。私はこの感覚がたまらなく好きだ。真の自由とはこの瞬間だと思う。恐怖心で心がいっぱいになり、それを乗り越える為に全力で頭を回し、最善のポジションを決める。後は、腹をくくって全力でスピードを付けて波に乗る。最後に、ビビると絶対に乗れない。これを書いているだけで、冷や汗が滲んてくる。

恐怖心は、必ずそこにあるというか、なくてはならない。


2014年1月12日日曜日

書評:「木造革命」 ~燃えなく、丈夫で、気候変動にも優しい木造の家を建たくなる本~ 


  木造革命


「日本は26年、イギリスは141年」



これは何だと思いますか。「住宅の平均寿命」だそうです。この「木造革命」に書いてあった興味深かった最初の逸話です。

この本を読んでみようと思ったのは、バリ島のコンクリートの建物があまりにも長持ちしないためです。2年しか経っていない建物でも古臭くガタが出ているものがバリには多い。これらは典型的な途上国の突貫工事の建物です。インドネシアのコンクリート住宅は10年もしたら、建て替えでしょう。これは、日本の26年どころではありません。

しかし、インドネシアの木造建築は長持ちしているものがたくさんあります。私が今住んでいる家も、150年物と80年物の木造建築です。


法隆寺を修復した宮大工の西岡常一氏は「コンクリートは50年、木は千年」と言ったそうですが、インドネシアもこれをダウングレードしてきれいに当てはまる状況です。

この本は、木造建築が、「燃えやすい」、「強度がない」、「建設コストが高い」等の誤解されている部分をインタビューによって、説明しています。これらの誤解からか、日本政府は4階建て以上の木造建設が危ないからと2004年まで禁止している。考えてみればこれはおかしな話である。法隆寺など五重の塔、中国の7重の塔などは何百年もそのままの状態残っている。震災でも木造建築の方がコンクリート建設より残っているという話もある。もちろん全ての状況がこのようであるとは限らない。きちんと作られていなければ、コンクリートだろうが木造建築だろうが、よい建物にはならない。

例えば木材は燃えない処理をすることも可能であり、火事が起こったら、熱でもろくなった鉄筋より、燃えない木造建築の方が安全である。インドネシアでは、質の良くないコンクリート建設が横暴しているので、木造建築がコンクリートより安いことはないが、この本によると、合わせ木材等の技術革新から巨大な建造物をコンクリートの建設よりも安く作る方法があり、実際に公共施設として、作られているらしい。

それになぜ日本国内の林業が衰退していったかの説明もしている。私も以前に調べたことがあるが、林業が衰退した理由は政府の保証金と工業化の問題である。この本ではスウェーデンの事例を紹介している。スウェーデンの林業は平地で、山地の林業である日本とは比較できないという人もいるが、
山岳部の林業であるオーストリアでも、充分工業化が成り立つだから、工業製品を作っている日本できないわけはないだろう。それから、日本政府の苗木の補助金もおかしな話である。日本の補助金は苗木を植えた分だけ、支払われるため木がぎゅうぎゅうづめに植えられ、その後、間引きして間伐材ができる。これは二重に無駄である。木材にしない苗木を植える無駄と、効率的に利用されていない間伐材を作るという無駄である。無駄な苗木を植えない海外では、そもそも間伐材の余剰が発生しない。





それから、植林された木材と使うことは悪いことではない。成長している木は二酸化炭素を固定化し、成長が止まった木を家具や木造建築として使うことは二酸化炭素そのまま固定化した状態で残すことになる。そして切り取った土地ににまた植林すればよい。また、荒れ地に植林することにより、土地が豊かになり、水や生物の資源も取り戻すことが出来る。以前書いたが、インドネシアのガジャマダ大学が行ってる植林プロジェクト(Wanagama)は、養分が少なく土地の水分保有量も少ない場所で40年前から行なわれているが、森として再生している。そして、地下水を供給できるようになり、土地の生産性も向上したといわれている。



この本に話を戻すと、学術的に検証されている部分は多くは無いし、構成が一貫していないと思うが、今の木造建築の技術とそれを取り巻く問題点を、多くのインタビューを元に書かれており、信頼出来そうな内容になっている。実際にこれらの技術を使って家を建てたいと思うなら、連絡先が書いてあるので、そこに連絡することもできる。

大手ハウスメーカーに、ツーバイフォーの家を建ててもらおうと思っているのなら、一読しておいて損はないと思う。

2012年7月8日日曜日

【書評】「村上春樹:走ることについて語るときに僕の語ること」を禅的に語る


走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
文藝春秋
売り上げランキング: 39245


今年はじめてハーフマラソンに参加したので、この本を手にとった。この本の存在は知っていたし、複数の友人から「絶対いいから」と勧められていたが、ランニングをするまでは読む気にならなかった。この本の英語版は「What I Talk about When I Talk about Running: A Memoir Haruki Murakami」で、「村上春樹の回顧録(自叙伝、自伝)」というサブタイトルがついている。そう、この本は走ることについて書いているが、それ以外にも村上春樹氏の仕事の仕方、半生記、性格、考え方等が書かれている。

有名な本なので、わざわざレビューをする事もないが、読んでいて「禅ぽいな」と思ったので、禅的である部分に集中して書いてみます。


何も考えない=空

彼は走っている時に何を考えているかというと、「何にも考えていない」との事。ただ走っている。空白で走っている。彼はそれを意図してかどうかわからないが、禅の「空(くう)」と「空(そら)」とかけている。
走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただのゲストに過ぎない。それは通りすぎて消えていくものだ。そして、空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのほうな茫漠した容物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、飲み込んでいくしかない。(p.32)

無であり、有である。それが空。村上春樹氏の説明はそれこそ禅の空でした。この「走っているときに何も考えない」の感覚は、彼が100kmのウルトラマラソンに参加したときにも出てきている。100Kmマラソンの最後の20Kmを下記のように示している。

文字通り「機械的」に反復する。そして自分の感知する世界を出来るだけ狭く限定しようと努める。・・・その先を考える必要なない。空も、風も、・・・真実も、過去も、記憶も、僕にはとってはもうなんの関係もないものごとなのだ。ここから、3メートル先の地点まで足を運ぶーそれだけが僕という人間の、いや違う、僕という機械のささやかな存在意義なのだ。(p.151) ・・・75キロのあたりで何かがすうっと抜けた。・・・「抜ける」という以外にうまい表現を思いつけない。まるで石壁を通り抜けるみたいに、あっちの方に身体が通過してしまったのだ。・・・それからあとはとくに何も考える必要はなかった。(p.153) ・・・自分が誰であるとか、いま何をしているだとか、そんなことさえ念頭からおおむね消えてしまっていた。・・・行為がまずそこにあり、それに付随するように僕の存在がある。我走る、故に我あり。(pp.154-5) ・・・しんとした心持ちだった。意識なんてそんなにたいしたのもではないのだ。そう思った。(p.156)

「以上が悟りを開いていく過程です」と説明されたら、「そのですか」と頷いてしまいそうです。まず、意識を「今」に集中して、そして、「それ」を考える必要すらなくなり、「自分」の概念が消えて、最後に「意思」が消えてしまう。

私もオーストラリアの砂漠を自転車で渡っていた時、次の街に着くまでに水がなくなりただ淡々とペダルを回しでいたときに、似たような感覚になったかな~と思いますが、20年も前のイベントでしたので定かではありません。その後は、似たような感覚があったかどうかわかりませんが、この感覚を日常的にできることが悟りを開くことなのでしょうか?私にはまだわかりません。

話をレビューに戻すと、集中と持続することは走るだけではない事が読み進めるとわかります。


才能、集中力、持続力

長い間小説家として生きていく事を語ってる所も興味深かったです。才能の次に大事な資質は、「集中力」と述べています。才能と違い、集中力は鍛えられる。村上春樹氏は、朝に3時間から4時間仕事をするだけのようです。短いと思うかもしれませんが、彼の業績を考えると、ダラダラ仕事をするより、一点に集中して他事を考えずに、4時間仕事をする事は、ダラダラと8時間仕事をするより、良い結果を生むのでしょうね。

その次に大事なのことは、持続力。日々の集中力を半年も一年も続けれれる能力も長編小説家には求められるっていうか、誰にでも求められる能力でしょう。集中力が「じっと深く息を詰める作業」で、静かにゆっくり呼吸していくコツ」が持続力と例を上げておりますが、そのまま禅堂で座っている時の様子でもあります。

この持続力も後から、トレーニングで鍛える事ができます。彼が走る理由がココに有るわけです。何度も何度も同じ事を繰り返し、断続して情報を身体システムにおくり、それを叩きこみ、少しずつ限界値を上げていく。マラソンのトレーニングの一環であり、彼の仕事の姿勢であります。


まとめると

この自伝を読んで、村上春樹氏のメッセージは:

一点に集中する事が出来なけれが、何も達成することは出来ない。目の前に有ることに(村上春樹氏の場合は日々の小説執筆であり、毎朝のランニング)に集中して、全力でこつこつと一歩一歩進んでいく。そして、それを出来るだけ長い時間続ける事を心がける。しかし、それと同時に、「今ある物で何とかやっていく」事を学ぶ。「全力を尽くしたなら、いいじゃないか」って思う。

まるごと禅道だとおもいました。私も集中力と持久力を鍛えたいと思います。しかし、村上春樹氏のように、毎日できない人もいるでしょう。そんな人にもう一つ私からのアドバイスがあります。それは、「一度やめてしまっても、もう一度始める」事です。日記などが続かない理由は、「中断した後に、再起しない」からです。単純ですが事実です。そう、丁度この不定期ブログの様に、続ければいいのです。

2012年6月3日日曜日

書評:「社員をサーフィンに行かせよう」 ~じっくりと本物を作る~


社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論
イヴォン シュイナード
東洋経済新報社
売り上げランキング: 13971


Let My People Go Surfing: The Education of a Reluctant Businessman
Yvon Chouinard
Penguin (Non-Classics)
売り上げランキング: 22987



前から気になっていたパタゴニアの創業者でありオーナのシュイナード氏によって書かれた「社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論」を読んでみた。前働いていた所は、こんな感じの文化を持っていたので「そんな会社があるのか!」と疑いの気持ちはなかったが、成り行きやその理念と、「サーフィンに行かせる」とは直接関係が無い「環境問題への対応」や「企業の目的」など学ぶことがありました。

本の最初の3分の1はパタゴニアの歴史について書かれています。50年以上の歴史がある会社であるとわかる。そして、シュイナード氏はこの本を書くことに15年を要している。まずこれで、「じっくりと本物」を作る事が好きなのがわかります。

この本を読んで、読み返さずとも、2つの事が言い続けているのだと思いました:


  1. 結果ではなく、プロセスを集中する事
  2. 本物を求める事


そして、シュイナード氏の場合はそれがたまたま「アクション/ネイチャー・スポーツ」であり、「環境」であり、「最高品質のパタゴニア」であったのでしょう。

例えば、彼は登山などの危険なスポートの経験から、自分の限界を超えることは良しとしていません。自分の能力以上の速さで、「崖を登る時」や「会社を急成長させる時」、死が早く訪れるとしています。そして、シュイナード氏も禅道に影響を受けており、プロセスに集中することに関して、弓道を例に出しています。

例えば、弓道では、目的 ー的を射る事ー を頭からけしさり、代わりに矢を放つ動作の一つ一つに精神を集中する。・・・同じ考え方が、クライミングにも当てはまる ー登る過程に精神を集中させていれば、いずれは頂点に到着する。・・・もう一つこの禅哲学がぴったり当てはまる境域がある。ビジネスの世界だ。

プロセスに集中することは、以前に自分のブログでも書きましたが、 この方が精神的に楽だと思います。シュイナード氏はそれとは別に、彼はエベレスト山に登ることを例に上げて、「本当の価値」に付いて述べています。

山登りの過程もまた、ビジネス、人生の双方になぞれることが出来る。・・・ただ、頂点に達するだけなら、酸素なしで単独でエベレストに登ってもいいし、ガイドやシェルパに料金を払って荷物を運ばせ、クレパスに梯子を渡し、2千メートル近く延々と固定ロープを張り・・・登ってもいい。後者の場合、本人は酸素ボトルの目盛りを「三千メートル」に合わせて、出発するだけだ。・・・全過程を妥協していては、成長は見込めない。

パタゴニアは本物を目指すと決めたので、妥協せず「オーガニックコットンへの完全切り替え」や「売上の1%を環境に寄付」を始めたのでしょう。そこには企業としての、個人としての成長があったことでしょう。パタゴニアは営利企業ですので、物を売ることが目的であり頂点でしょう。しかし、真の価値がそれを成し遂げる過程 ー「環境問題」や「他の企業の見本になる」ー にあるのでしょう。そして、それに妥協していては「最高品質」という頂点に立てないでしょう。


本の題になっている「社員をサーフィンに行かせる」文化は、シュイナード氏が事業を始めた理由からきています。すなわち、登山やサーフィン等のアクション/ネイチャー・スポーツの合間をぬって生活費を稼ぐためだったと思います。だから、「遊ぶ権利をもらう代わりに、責任も持って仕事に取り組む」事、権利(Right)と責任(Responsibility)の話だと、本を読む前は思っていました。

しかし、それだけではなく、ここにも本物を求める理念が入っています。これらのスポーツを真剣に行っているからこそ、本物のスポーツ用品が作れるのだろうし、環境問題を肌で知ることが出来るのだろうし、しいては「地球が存在しない世界で、ビジネスは成り立たない」事がわかるのでしょう。

この本では多くの引用がありましたが、フランソワ・オーギュスト・ルネ・シャトーブリアン氏の引用が理念を説明しております。

人生の達人は、仕事と遊びの区別も、労働時間と余暇、心と体、教育と娯楽 の区別もつけない。両者の違いがわからないのだ。何をするのであろうと ひたすら至高の状態を求め、仕事か遊びかの判断は他人に委ねている。本人にしてみれば、常に両方を行っているようなものだ。

すなわち、仕事をする事もサーフィンもする事も、本物を追い求め、やると決めたら、あとは真剣にコツコツを行う。それを、他人が、仕事と呼ぼうが、遊びと呼ぼうが、関係ない。禅の老師に「仕事しか真剣に思えないのだろう」と言われたことを思い出しました。結果を考えずに、何ごとにも真剣にコツコツと行なっていったらどこかに行くことができるでしょう。



自分が環境の分野にいる意味を再確認させてくれる本でした。田舎育ちで、冒険とアクション・スポーツから環境問題に触れたのが私の理由です。これは、シュイナード氏と同じであったので親近感が湧き、最後まで一気に読んでしまいました。

「パタゴニアは株式を公開していないから怪しい」などいう人がおりますが、そういう人に読んでもらいたい本です。しかし、「IPOを目指せ」や「株価が一番大事」と言っている方たちには、考え方のフレームワークが違うので、理解が出来ないかもしれません。

2012年4月15日日曜日

書評:何があなたを仏教徒にさせないか?~ What Makes You Not a Buddhist~

2月にインドに行った時に、チベット系インド人のスタンジンにこの本をもらった。


What Makes You Not a Buddhist
What Makes You Not a Buddhist
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Dzongsar Jamyang Khyentse
Shambhala (2008-08-12)
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この著者はインド系のアメリカ人で、欧米で既に活躍されているお坊さんである為、英語が達者である。その為、現代のポップ・カルチャーの例を上げながら、仏教が何かを軽く説明している。
軽く説明をしているといっても、タイトル通り、「何をなせていたら仏教徒か」を章ごとにきちんと話している。そして、ここで説いている仏教とは「お釈迦様が見つけて真実」であり、その後宗教として発展した仏教ではない。この本でも、仏教は宗教では無いとしている。

この本によると、下記の4点の一つでも同意できなかれば、その人は仏教徒ではないとしている。
  1. All compounded things are impermanent. 
  2. All emotions are pain. 
  3. All things have no inherent existence. 
  4. Nirvana is beyond concepts


直訳するとこんなところでしょうか?
  1. すべての複合物は一時的である。
  2. すべての感情が苦痛である。
  3. すべてのものには固有の存在しない。
  4. 極楽(悟り)は概念を超えています


意訳するとこんなところですかね?
  1. 形があるものはいつか壊れる。
  2. 感情の捕らわれていると辛い。
  3. この世の中に変わらないものなど存在しない。
  4. 苦しみの原点は、国、文化、宗教に影響されない。


この本はこの4つの項目に付いて書かれているだけであり、一切禅や瞑想の方法については触れていない。この4項目が仏教では真実であり、これがあるから最終的な真実につながるのである。つまり、「自分を捨てることが、苦しみから逃れる」事である。

多分この4つの中で、2番目の「すべての感情が苦痛である」が一番受け入れがたい項目であろう。うれしい感情が何故辛いのかと。詳しくは本を読んでもらいたいが、すべての感情は、自己にしがみついているという意味では利己主義から生まれている。その為、それでは自分を捨て切れない。だから、苦しみの原点から離脱出来無いことを意味する。つまり、悟りは開けないとなる。

それから、この本で興味深かったのは、何故、仏教徒は他人に優しかったり、菜食主義者であったりするかの記載である。キリスト教では、「博愛」により他人に優しくなる。倫理が行動の原点である。しかし、お釈迦様の仏教は宗教ではないので、倫理により「他人に優しかったり、菜食主義者」であるわけではない。

例えば、「肉を食べる」とは、「他の命を摂ってまで、自分を長生きさせよう」とする「自己にしがみついている」行為であり、仏教の真実に反する。また、「自己にしがみついていないのなら」、自分の物に執着する必要もないので、「他人に物を分け与える」事にも苦痛は存在しない。

とにかく、英語が読める人や、宗教の色が無いお釈迦様が見出した仏教を覗いてみたい人には、良い本です。

これは本の中に書いてあったお釈迦様の仏教を記載した書評です。日本の仏教が宗教でないとは言っていないので、お坊さん怒らないでくださいね。だれか、日本語に翻訳すればいいのにね。

2011年4月11日月曜日

Storms of My Grandchildren 【私の孫が経験する嵐】 ~気候変動モデラーの願い~

Storms of My Grandchildren.jpg

Storms of My Grandchildren: The Truth About the Coming Climate Catastrophe and Our Last Chance to Save Humanity

気候変動モデルで有名なジェームス・ハンセン博士が書いた気候変動の本がKindelから安く読めたので、偏っているだろうが、私の感想を書いてみる。本のタイトルを日本語訳すると「私の孫が経験する嵐」とでも、なるだろうか。最期まで読むを彼の切実な願いはよくわかります。Android携帯電話でスキマ時間に読んでみたが、この様な読み方でも問題ない本である。つまり、話はそれほど難しくなく、前後のつながりもそれほど気にする必要は無かった。私は気候変動に対する知識を既に持っているが、多分の多くの人に当てはまるだろう。

気候変動に関する知識を得るには良い本だと思う。話の内容は、彼の専門分野である、気候変動モデルだけでなく、温室効果ガスの取引に関する事や、アメリカ国内の気候変動に関する政治にまで及ぶ。これは彼の専門外の分野なので、彼は学術誌などには投稿しない話である。しかし、彼は近年アクティビストとしても活躍しているので、彼の経験にもとづいた話はに引き込まれる。


先の3つの分野に分けてまとめてみる。


気候変動モデル

これはハンセン博士の本職であるが、内容は「初歩的なコンセプト」と「一般的な間違い」を中心に書いている。例えば、氷河期が来ると言っている人がいるが、それは人間がいるうちにはおらないだろうとの話。これは統計的な話だけでなく、太陽の光は次の氷河期が来る頃には、もっと熱を帯びている事などからも考えられる。これに、温室効果ガスからの温暖化を考えると、人間が存在しているうちに氷河期はやってこないだろう。その他にも、気候変動の否定の話でよく出てくる話の解説がしてある。例えば、「空気中の水分の方が温室効果ガスより、影響度が高いが、それは増幅効果である事」や、「エルニーニョやラニーニャが無関係である話」も分かりやすく書いてある。



温室効果ガス削減への対応


色々は、実情が統計的にグラフ化してあるので分かりやすいと思う。例えば、産業革命以後の二酸化炭素の排出量を比べる為に、以下のようなグラフを使っていた(Figure 24)。





西欧の国に比べたら、現在最大の二酸化炭素排出国の中国や、これからもっと伸びると言われているインド等の過去の排出量はたいした事が無いことになる。ここが途上国が、自国での二酸化炭素の削減に否定的である理由である。現在の先進国は、大量の温室効果ガスを排出して、発展してきたので、彼らがその責任を取るべきであるとの論理だ。現在年間第2位で、過去の排出量でも第2のアメリカに真剣味が無いことに、他の国がおこっている事もこれを見ればよくわかる。

それから、ハンセン博士は市場を使っての、排出権取引に否定的である事が書いてある。排出権取引は世界の流れだからしょうがないだろうと、僕も思っているが、確かにこれに効果があるかどうかは、少し考えて観る必要がある。市場による排出権取引で温室効果ガスを削減する事の、一番の売り文句は「効率」である。効率的な会社が排出権を買い取ることにより、「効率」良く排出量をターゲットに持っていく。しかし、この方法は税金を使って、排出量を減らすより効率的であろうか?市場による管理では、金融機関が排出権を売り買いする。彼らには、大きな利鞘ある事はロンドンの友人を見てもわかる。市場全体で見たら、ファンドマネジャーの給料は取引費用であり、税金を国に払うのと大差ないのではないか。更に、排出量のキャップは政治的に決められるので、経済界が嫌うほどの排出量の削減を促すレベルにキャップは設定されない。そして、排出権取引では、目標以上に二酸化炭素が削減されることはないので、目標が低い場合、あまり意味をなさない。このあたりが書いてある章が一番面白いと思う。


アメリカ国内の政治

彼は、政府のアドバイザーの役をしているので、その辺りの裏話は面白い。実名がどんどん出てきて、会談や手紙の内容まで書いてある。この本では、アル・ゴアもオバマもドイツの環境省も全て、切っている。ハンセン博士にとっては政治的な駆け引きは必要なく、本当に削減をしてくれる政治的なリーダーが必要だということだろう。

最後に、日本の政治や、原子力についても書いてあるので読んでみるといいですよ。日本語版だせばいいと思います。日本の巷で出ている、気候変動本より、面白く良く書けていると思います。僕でよかったら喜んで翻訳引き受けるのだけどな。

2009年7月5日日曜日


島の友人に借りて、最近の寝ながら読んでいた本。

椎名誠氏が日本の海をたずねる話だが、パターンがある:

  • 無計画
  • 旅番組の様に、無理にはしゃがず、ネガティブな部分もあり
  • 海産物に固着
  • ラーメン
  • 夕食をホテルで食べず、腹をすかせることに
とにかく、美味しいものを食べる話がたくさんあり、寝る前に読むべきではないなと、反省。


僕が今居る島のことも書いてあるが、ネガティプな部分の丸出し。

確かに、この島は公共工事が多すぎると思う。山を切り崩し、海にテトラポッド。財政を見てみたら、13%ぐらいしか島の税金でやっていっていない。つまり、残りは都会におんぶか、借金である。実は「都会におんぶ」の借金なのだが。

環境負荷だけで無しに、このあたりの「リアル経済負荷」も考えるべきだろう。

今日から、また東京出張。彼らにおんぶに抱っこの地方の財政どうにかならないものか。

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