2011年12月21日水曜日

作物の発育関数を使って、指数を説明 ~指数の目的と限界~

曖昧なものをはっきりさせるために、数字を使って物事をはっきりさせたりします。例えば、自分が太っているのかどうかを鏡で見て曖昧に判断してもいいですが、ボディマス指数を使えば、明確な数字がでて、判断がはっきりします。この判断基準となる指数の説明をします。


指数は大きく分けて、総計指数(Aggregated Index)と合成指数(Composite Index)に分けられる。例えば、国内総生産(GDP)は単一の単位を日本円で計算した日本の生産量の合計であるから、総計指数である。一方、国連が作成している人間開発指数は、教育年数、年収金額などの複数の単位から指数を合成する為、合成指数である。双方一長一短ですが、その説明は後回しにします。


単一の単位を使っているからといって、総計してしまえば指数ができあがるとも限らない。その例を作物の 発育関数 を使って説明してみよう。例に上げているのは、下記のプロジェクトで使われた 作物の 発育関数  です。
USDA-Water Erosion Prediction ProjectHillslope Profile and Watershed Model Documentation 



この生物気候学の発育関数は一日の熱の蓄積により決まるとしている。だから、使われている単位は温度だけです。

HUが一日(i)の熱量による評価基準の単位であり、TmxとTmnが最高と最低気温である。Tbは個々の作物(j)が必要としている最低気温。そして、このHUの総数が評価基準になる。HUだけ見ても、それがいいのか悪いのかはわからないが、同じ方式で計算された他の地域の同作物を比べたら、熱量が多いのか少ないのかはわかる。目的によってはそれで十分かもしれないが、もう少し意味のある指数にするために、割合化してみる。


HUIが指数で、PHUはその作物が成熟するのに必要な総合の熱量(potential heat units)である。HUの総数をPHUで割っているので、割合が大きければ大きいほど、十分に熱量があることになる。例えば、PHUが1.5なら、「成熟するのに必要な1.5倍の熱量がある」ことになり、0.5なら、「成熟するのに必要な半分の熱量しかない」ことになる。

これによって、指数自体が意味を持つことになる。そして、これはある意味指数が評価基準化された事になり、他の評価結果と比べる事も出来る。作物の発育には水は、制限要因であり、十分に熱量があったとしても、発育が制限される。そこで、水の研究と比べることで「成熟するのに必要な1.5倍の熱量があるけど、水が50%足りないね」等の意味がある結論を導くことが出来る。


ここでわかるように、単一の単位からの作られた指数には限界がある。農業の生産には色々なファクターが関わっている。気温や水以外にも、農家の労働力やトラクター購入等の資金力なども必要である。これらの色々は単位の変数を混ぜることにより、より現実的な作物の生産関数が作られることになる。つまり、合成指数は複雑であるが、より現実的な評価基準になるだろう。

最初に取り上げた国内総生産も人間開発指数も「発展度」を探る評価基準として使われる。人間開発指数は平均余命と年収の間で、どちらがどれだけ重要かバランスを取らなくてはならない。これは生産量を足していけばできあがる国内総生産より複雑であるが、物やサービスの生産量だけが、発展ではないので、人間開発指数がより現実的に「発展度」を示しているとも考えられる。一方、国内総生産を見れば、「発展度」がわかるのは事実であり、複雑なバランスの計算を剃る必要が無いので、国内総生産で比べたほうが当てになるとも考えられる。

指数を作る一番の目的は、曖昧な基準を明確(Precise)にすることである。しかし、その基準が合っているように正確に(Accurate)指数を作ることも大事です。その話は、又いつか書きましょう。



2011年12月20日火曜日

農業へのインパクトの評価方法 ~ProbableとPossibleの違い~

農業は今後予想される地球規模の環境変化から一番被害を受けるセクターの一つと言われています。インドネシアの政策レポートを読んでも、農業に関する政策提言が一番多いです。これらの政策は、学術的なインパクト評価方法に基づいて試算されることが望ましい。

しかし、全ての評価方法は何らかの欠点があるだろう。さらに、その評価方法が使っているモデルも、モデルが正しく機能する限定条件があるだろう。その事を考えながら、代表的な評価方法をリストしてみる。


生産関数(Production function)
このアプローチでは、異なった気候条件の下で、異なる作物の収量を生産関数を使って検討します。このアプローチでは作物が変化する気候に適応しない事と、作物の選択を含む土地の使われ方選択が無いことを、前提としています。その為、変化する気候条件の農業の利点をモデルは過小評価することになります。

第2前提の作物の選択を考えない事は、かなりの過小評価でしょう。例えば、インドネシアに農家に話を聞くと、「水が足りないから、稲作からココア栽培」にしたとか、「農業には向かないから、土地を売って住宅が建った」との話が聞かれます。ココア栽培に転作するすることにより、農家は利益が削減するばかりか、収入が増加した可能性が高いです。生産関数アプローチでは、ここの収入の増加を見ることはむりです。


農業ー経済モデル(Agronomic-economic model)
農業ー経済モデルは、複数の組み合わせから、農業へのインパクトを評価します。温度や降水などの生産関数により農業モデリングを作り、それを経済モデリングにインプットします。経済モデルでは、作物の選択は市場価格を考慮することにより、より現実的な作物の収量に影響を予測することができるであろうと思われます。

どこまで、モデルを複雑にするかは議論されるところですが、気候変動等への適応を考慮しないと上の生産関数の様に、利点を過小評価することになります。ただ、いままで起こった事が無い、変化に対しての作物や農民の適応をモデル化するのは難しい所です。


農業―生態系地域モデル(Agro-ecological zoning)
このゾーニング(地域)と言われる手法では、土壌、地形、気候の特徴の組み合わせにより「ゾーン」を定義します。各ゾーンには、土地利用のための制約とポテンシャルの組み合わせをそれぞれ持っており、土地が利用されているかどうか分析することができます。さらに、この基本的なゾーニングに、土地保有、土地の利用、人口や家畜の密度、インフラ設備を付け加えることにより、土地利用計画を議論する事ができます。

http://www.fao.org/docrep/W2962E/w2962e-03.htm




他のアプローチと同様に、このアプローチも適応を農民や生態系の適応能力を加味しないと、利益を過小評価することになります。

つまり、モデルは「一番起こりえる将来を予測(Probable)」表している様に見えるけど、実は「限定された条件下での最大の可能性(Possible/Feasible)」を表しているだけだったりします。後者が問題だというのではなく、「限定している条件」が何であるか見極めて、モデルを使用することが大事であると思います。

日本語だと、ProbableもPossibleも同じく可能性と訳されますが、中身は全然違います。お気をつけ下さい。

2011年11月29日火曜日

バリ島の稲作農業 ~スバ・灌漑システム~

今在住しているバリ島の稲作農業を説明したいと思う。バリというと、ウブドに代表されるような段々畑の稲作農業を想像する人も多いだろう。




このような、稲作農業ははスバ(Subak)と言われる灌漑システムで管理されている。スバは1000年以上の歴史があり、儀式化されておりバリのヒンドゥー教にのとった農場カレンダーに従って、稲作が営まれている。

灌漑システムに参加している農民達は、カレンダーに従い、日本の村社会の掟のようなものに従い、水資源を有効活用している。長い年月により、ここの意思決定が、組織の掟のようになり、それが複数の組織のネットワークになり、水資源がより多くの農民に使われるように自主的に管理されるようになった。

管理されているのは、水だけでは無い。例えば、田植えに時期を同時に行うことにより、害虫の発生を最小限にする事を試みている。インドネシアでは、一年間で三毛作も出来る気候であるが、それをすると、害虫が点々と田んぼを移り渡る事ができるので、害虫が大量発生する可能性が高まる。「何を植えるか」は「何毛作にするか」も、スバで決めて、メンバーはその決定に従うことになる。このスバと言われる灌漑管理グループは2300以上あり、その内の
65%が稲作に従事している。


現在は農業の工業化もバリに入ってきているので、1000年前とは同じように管理されては居ないが、まだこのスバの仕組みはバリの農業では欠かせない物となっている。今インドネシア政府はこのスバをユネスコの無形文化遺産に申請している。最終決定は来年に持ち越されている。

2011年11月26日土曜日

結果指向とプロセス指向 ~楽に成し遂げる方法~

前回、「結果指向とプロセス指向」の話を気候変動の適応策で書いたが、普通の生活でも応用できる話です。スポーツのトレーニングの世界でも使われているコンセプトです。というか、多分こちらの方が先だっただと思います。

それでは、説明してみます。

例えば、マラソンをやっている人が、速く走れるようになりたいと思っているとします。本番の大会に出る事で、速く走れるようになったかどうかわかりますよね。

だから、結果指向の人は、「大会で〇〇位になる」等が目標になります。この目標は最終的な目標ですが、前回書いたように、達成できるかどうかは練習の結果だけではありません。もしかしたら、その時あなたは病気で体調が良くなかったりとか、たまたま凄いアスリートの集団が大会に出ていたからで、良い成績が出せないかもしれません。その為、どんなに練習しても、目標に達しないかもしれません。もし、目標が達成できなかった場合、「なにくそ!」とさらに頑張るかもしれません、又は嫌になってマラソンをやめてしまうかもしれません。どちらにしても、過大なプレッシャーがかかる事になります。

変わって、プロセス指向の人は、「毎日5キロ走る」等が目標になります。この目標は最終的な結果に左右されません。その日一日5キロ走れたら、その日の目標は達しれたことになります。大会でどういう結果になるかの期待はしませんし、悪い結果になったとしても、それはプロセス指向の目標とは関係ない事です。しかし、毎日5キロ走っていたら、当然マラソンの実力はついてくるはずです。その為、本番の大会で速く走れる様になっているはずです。


結果指向の人が、「大会で優勝する為」に毎日5キロ走っていようが、プロセス指向の人が「只」に毎日5キロ走っていようが、大会の結果は多分同じになるでしょう。赤の他人が見たら多分、この二人に違いはないでしょう。しかし、ストレスやプレッシャーは多分大きく違うと思います。プロセス指向でトレーニングしている人の方が、長続きして、スランプからの脱出も早いと聞いた事があります。

メジャーリーグで活躍のイチロー選手も、過去に以下の様な発言をしたのを読んだことがあります(うる覚えですが)。

「偉大なことをするには、コツコツとやるしか方法は無い。」
「打率は追い求めません。安打数にこだわるのは一つ一つの積み重ねだから」

まさに、プロセス指向の発想だと思います。彼は、毎日の行動をロボットの様に規則正しくするそうです。そう、コツコツとプロセスを積み上げます。

言われなく、人間として結果は気になるところです。しかし、それは悩んでも自分のコントロール外の事だと思います。それなら、毎日毎日ある意味ロボットの様にコツコツとプロセスを重ねていき、毎日毎日目標を達成して、それを褒めてやったほうが、楽かもしれません。結局、結果は同じなのですから。

これは、他のスポーツでも言えることでしょうし、仕事でも同じかもしれません。毎日毎日コツコツとプロセスを重ねていったら、きっと何かを達成しているはずです。


追記:もう一つ、毎日毎日コツコツと続ける最大のコツは、一度中断しても、必ず再開することです。そう丁度、この不定期ブログの更新頻度の様に。

2011年11月21日月曜日

結果指向とプロセス指向の評価方法 ~気候変動の適応策を評価する~



適応策の考えに、結果指向(Result-oriented)とプロセス指向(Process-oriented)がある。この考えは、特に適応策を評価を考えるために作られた。OECDAdaptation toClimate Change: International Agreements for Local Needs両者の違い良くしめしている。





結果指向の目標は、適応行動の最終的な目標を定義する。この方法の利点は、関係者が同意する特定の結果を明記することにより、適応行動を達成する事です。しかし、実際には、目標として掲げられた結果の達成または未達成と、それに向けた行動の直接的な結果では無い可能性があります。適応行動や適応に関する不作為とは全く無関係かもしれない他の要因が、最終的な結果の達成に直接的かつ重大な影響を及ぼす可能性があります。

例えば、ある地方の干ばつに効果的なイネ種子を適応戦略として開発・普及させたとしても、その後、政治的または干ばつ以外の気象現象であるハリケーンが発生して、結果指向の目標は達成されない事は容易に考えつきます。逆に、適切な適応策がとられなくても、特定の年または期間内に有利な気象条件に達成されたときに、稲作は豊作となり、結果指向の目標は達成されてしまうことはあります。



プロセス思考の目標にも、いくつかの利点があります。まず、簡単に監視できますそしてこれらの目標を達成するための進捗状況を簡単に評価することができます。

例えば、「気候変動からの影響を最小に留める」と結果指向の目標を掲げる代わりに、「気候変動の予測と適応策を政策に取り組む」とプロセス指向の目標を掲げる事が出来ます。

これらの目標達成には、正しいことを行う、正しい方向に移動している達成感を得ることが出来る。かと言って、このプロセス指向の目標達成は、気候変動への適応についての期待される結果達成されることを意味しません。その為、選択されたプロセスが、最終的な「結果」の目標を達成につながるかどうかを注意深く議論し監視し続ける必要があります。


どちらの目的が良いのか、議論され続けています。プロセス指向の適応策の評価が好まれるの理由の一つは、気候変動に大きな不確定要素がある為です。上に述べたように、稲作や水の管理などには、気候変動だけでなく、政策やその他の地域的な変化がある事を忘れてはいけません。

2011年11月18日金曜日

環境やら国際協力やらの大学入学の相談を受ける時の返答

時々、環境やら国際協力やらの大学入学の相談を受ける。

その時は、「これらは分野であって、科目では無いから、学部レベルでは工学、経済、法律、生物等の専門分野を学んだほうがいいよ」と答えている。環境は国際協力を学部レベルで教えておられる方には失礼だが、環境やら国際協力では、自分のいかせる技術を身につけて、それから開発の現場で働くなり、環境の修士コースで、これらの分野で応用するのがいいと思う。

修士コースは2つのタイプに分けられると思う。


  1. 更に専門化する博士課程への準備コースとして、「学部より狭い範囲を深く学ぶ」
  2. 学部で学んだことを実務に活かすため、又は専門化する博士課程への前に、「分野を横断的に、広い範囲を浅く学ぶ」


1は工学、経済、人類学などを学んだ学部生が、その分野でさらなる学を身につけようとする場合で、2は工学や経済などを学んだ学部生が、環境や国際協力の分野で活躍しようと思っている場合にふさわしいと思う。そう、環境学や国際協力を専門にするとは、自分が議論できる役立てる立ち位置をしっかり持って、環境や開発問題に取り組むことである。何の専門性もなく、広く浅く環境や国際協力の分野を知っていても何の役にも立たないだろう。

現場に出ずに、学問の道を極めようとしても同じである。学部で環境学を先行したアメリカ人をオックスフォードで受けもっと事があるが、これといって専門性を持っていなかったため修士論文を書くのに苦労していた。博士課程に進むのではあれば、もっと苦労するだろう。工学、経済、法律、社会学、人類学などの深い立ち位置を持っていない状況で、書かれば学術誌はニュースの記事の様な出来である事が多々ある。


環境学に来るのはウェルカムだが、出来れば大学院からで、学部では別の下準備したほうがいいと思うよ。

2011年11月6日日曜日

未来への割引率がマイナスで有るべきかもしれない理由 ~気候変動下での、地球共同体の割引率~

ここで述べたことを説明しようを思う。




経済学 (〈一冊でわかる〉シリーズ)
パーサ・ダスグプタ
岩波書店
売り上げランキング: 358304

上で述べているように、この本では、パーサ・ダスグプタ氏がマイナスの割引率の可能性を気候変動の分野で、日本語で説明している。気候変動に対しての記述は、正確ではない部分もあるが、そこはちょっと古い経済学の本ということで目をつぶろう。

154ページから、気候変動での割引率について記載せれている。まず、経済学者がどのように、意思決定をするか現実の例を上げている。


「2004年に著名な経済学者8人がコペンハーゲンに招かれ,
世界共同体が500億ドルを5年間で使っとしたときの最も有効な使
い方について助言を求められたとき彼らは10個の選択肢の中で
気候変動を最下位に置いた.(p.155)」


なぜ、このような結果になったかと言ったら、それは、将来の費用と便益をプラスの割引率で計算したからだ。これは、経済学を学んだ人でなくても、「普通」な事である。今日の1万円もらうとの、来年一万円をもらうのでは、今日の一万円もらったほうが、安心だし満足する。つまり、今日の一万円は、来年の一万円より価値があることになる。別の言い方をするなら、今日の一万円もらって使うのを諦めるなら、来年は一万円以上貰う必要がある。だから、お金を貸すときは、プラスの利息を付ける必要がある。これが「資本の機会費用」と言われることである。

気候変動は数十年先の話をしているので、気候変動対策に今お金を投じても、将来の見返りを現在の価値に直すと、小さくなってしまう。例えば、年利5%を割引率として、50年後に百万円の利益を出すものは、現在の価値に直すと、87万円程度になってしまう(10,000,000/(1 + .05)^50)。もちろん、気候変動の信ぴょう性やプロジェクトの成功度なども本来加味するべきだが、本書ではそこは議論していない。注目しているのは、このプラスの割引率は「普通」なことである。


パーサ・ダスグプタ氏はその「普通」な事に、2つの点から議論している。

    1. 地球共同体がある便益を今性急に欲しがっているか、そうでなければプラスの割引率は適切か?
    2. 正義と平等のもとで世代聞で平準化すると、プラスの割引率は適切か?.


    まず、一つ目の性急さに関して。今の利益に集中するのであれば、プラスの割引率は妥当である。しかし、ダスグプタ氏は、今日存在しないというだけで、孫世代やひ孫世代を支持しないのは、将来世代を差別する政策でうけいれられないとしている。


    割引率がプラスである理由のもう一つに、1人当たり消費が今後も上昇して、豊かになっていくと仮定しているからである。今後、仮に気候変動が深刻化した場合、今後の成長は望めるだろうか。プラスの割引率を使っているという事は、「気候変動は大した影響を及ぼさない、だから成長は止まらない」と言っているのと同じである。つまり、気候変動には不確定要素が大きいが、その「問題なし」のシナリオだけを、仮定して経済モデルを廻しているのである。


    別のシナリオでは、将来の成長が鈍化して、一人あたりの消費が減ることも十分に考えられるだろう。その場合、未来世代との平等を考えるのなら、将来の使益を割り引くのではなく、増やして計算する必要があるだろう。




    ダスグプタ氏はその説明の為、以下の様なシナリオで計算している。



    「…今後50年間,地球全体のl人当たり消費が年間0.5%ずつ増えていき,その次の100年間にはl年当たり1%ずつ減っていくというシナリオを考えよう。このシナリオの下では、地球共同体は、将来消費の便益を今後50年間はl年当たり1.5%(0.5%の3倍)で、その次の100年間はl年当たりマイナス3%(マイナス1%の3倍)で割り引くべきである。簡単な計算をすれば、今から150年後に行う1ドル分の追加的消費は、今日の時点での9ドル分の追加的消費と同じ価値を持つことが分かる。別の言い方をすれば、地球共同体は、 150年後に1ドル分を追加的に消費することで便益を得るのと引き換えに、今日の追加的消費9ドル分を諦めてよいと考えるべきなのである。(p.159)」





    一つここで気を付けたい所は、ダスグプタ氏が話していることは、「地球共同体」であって、「民間の投資家」では無いことである。資源としての空気がオープン・アクセスで在り続け、商業銀行の利子率がプラスでありなら、そのまま割引率はプラスでありつづけるだろう。大気の排出が心底規制されるのであれば、この仮説の正当化されないだろう。もっと言えば、ダスグプタ氏が話しているのは、「こうあるべきだ!」であって「実際こうである」ということではない。ちなみに前者をNormative Economicsで後者をPositive Economicsと言う。


    話を元に戻そう。ダスグプタ氏の説明はここで終わっているが、マイナスの割引率を実験経済学で調べている学者もいる。Hyperbolic discountingというが、最後の例の様に、最初はプラスの割引率だが、もっと先の将来はマイナスに転じる割引率である。Wikipediaの例にならうと分かりやすい。たとえば、今の五千円か一年後一万円の選択肢を提供されたとき、多くの人々は即時の 五千円を選択する。しかし、5年後に五千円と6年後に一万円の選択与えられたほとんどの人は、実質的に同じ選択肢であっても、6年後に一万円を選択する。


    倫理的なトピックで議論の余地は大有りですが、意思決定は面白いですね。


    2011年9月24日土曜日

    参禅記:今を生きる(Live now)

    先月一時帰国した時に、良い期待だから禅寺に一週間参禅してきた。

    禅のコンセプトは「今を生きる」。今を生きることにより、過去の出来事や未来の心配事から解放され、自由になれる。本当の意味で自由になってみたいと思ったのが参禅の理由です。僕の経歴を知っている人は、僕が「今を行きたい」とか、「自由になりたい」とか言っていると、「あなたほど自由に行きている人はなかなかいないですよ」と言われる。しかし、現実は、いままで真に今を生きている時は殆ど無かった。多くの時間を、過去の失敗や成功か、未だ起こっていない期待や心配に、心を奪われている。

    禅寺の一週間の生活は、「只座り、只歩き、只食べる」。坐禅を組む必要もなく、眠たくなれば寝て、お腹が空いたら食べる。「只やる」とはやっている事自体を考えずに、行動を頭の中で言葉に置き換えずに、その瞬間、瞬間に集中する。座って、息を吸う事に集中して、息を吐く時には、吐く事に集中して、息を吸っていたことに心をとらわれない。息を吐いていた時には、息を吸っていた事は既に存在していない。瞬間、瞬間に集中することにより、今を生きる事になり、他の存在しない、過去や未来事から自由になる。


    非常にシンプルな事だが、実践するのはなかなかうまくいかない。禅寺に居たときは、必死で「今を生きるんだ!、吸って!吐いて!吸って!吐いて!」と力を入れっぱなし、それでも、雑念が次から次に頭に入ってくる。正直思ったように進まず、悟りを開くには程遠い生活でした。しかし、一週間は有意義で、寺を降りて世間に出るのが怖かったぐらい、心が穏やかになる時間でした。


    あれから1ヶ月、すべての事に集中して、禅を行っているが、未だに雑念が入りっぱなし。しかし、少しは進展があったように思える。例えば、食事をする時、「一咬み、一咬み」に只集中し、味を味のまま、好きや嫌い、甘いや辛い等の言葉に置き換えないことにより、本当の味がわかる事がある時がある。

    それから、自由になる、今を生きる、息を吸う吐くと頑張っていたが、息は自然に吸って吐いているわけだし、今しかそもそも存在しないわけだし、もともと皆自由であるはずであると思うようになってきた。しかし、未だに雑念めちゃくちゃ入っているわけなのですが。



    集中するのには、踏ん張る必要があるのですが、「禅って普通の事なんだ」って、肩の力が抜けたのは、禅のコンセプトが英語ではMindfullnessだと気付いたからだと思います。「頭で考えるんじゃない」と老師様に怒られそうですが、ヨガの瞑想がDeep relaxで、禅の集中がMindfullnessだと分かったら、なんか急に瞑想や禅が普通の事に思えるようになりました。そして、僕が禅にいだいていた神秘性や崇高さが無くなって、自然に禅に向かえるようになりました。だからといって、禅の素晴らしさは変わらず、僕の禅に取り付いていた無駄を捨てることができただけだと思います。

    何千年も前に此れを見つけて、今に伝えているお釈迦さまはすごいなと改めましておもいます。これからも、普段の生活に禅を取り入れて、「今」、「今」、「今」と生きていこうと思います。


    2011年6月23日木曜日

    気候変動からの脆弱性を評価する方法 ~Whatが先か、Ifが先か~

    気候変動からの脆弱性を評価する方法は大きく分けて、影響アプローチ(Impact Approach)と相互作用アプローチ(Integrated Approach)の2つに分けられる。二つの違いを説明してみる。

    影響アプローチは原因と結果を考える、だから、分析の論理は「If, Then, What」である。気候変動が起こった場合をまず想定して(If)、次に(Then)、その影響が何であるか(What)であるか理解する。このアプローチでは、気候変動以外からの影響は、一定であると考える必要がある。しかし、現実は、人々の生活、生態系、ビジネス等は、気候だけではなく、他の人間の活動やその他の要因に依存している。例えば、人口増加する事で、食糧の需要が伸びる。そこで、気候変動から食糧の生産も下がれば、脆弱性が更に上がることになる。更に、近年は食糧への投機的なお金が流れることで、食料価格の上下の動きが増幅される。これらの、影響は多分気候変動の影響より大きいだろう。だから、気候以外の影響を考慮しないと、評価に信ぴょう性がなくなってきている。クライメイトゲート事件からは特に・・・・。

    この気候以外からの影響も考えた二番目のアプローチは、相互作用アプローチといわれる。このアプローチは、気候変動からの影響は、人々の生活、生態系、ビジネス等に影響を与える一面でしか無いと考えている。相互作用アプローチは「What, Then, If」と考える。気候変動が発生したときに、社会と生態系は、何に(What)敏感であるかを、気候以外の項目も含め考えておく。そして(Then)、もし、(If)実際に起った場合、どこが影響をうけるか考える。「If, Then, What」と「What, Then, If」の違いはこじつけ半分だが、スタート地点が、「気候」から入るのかそれとも、影響されうる「人々の生活、生態系、ビジネス等」から入るのかを表している。Whatを先に考えることにより、視野が広がり、包括的な評価ができる。しかし、物事が大きくなりすぎて大変な側面もある。

    それから、当然現実は、評価の再考を何度も行うので、二つのアプローチを統合して、 社会と気候因子を相互に評価することになる。

    久しぶりだったが、今日はここまで。

    2011年4月25日月曜日

    気候変動脆弱性指数の種類と製作方法 ~複雑なシステムを単純化する、政治的な「重み付け」~















    地域レベルでの、気候変動脆弱性指標の暫定評価とロードマップの説明


    Preliminary assessment and roadmap for the elaboration of Climate Change Vulnerability Indicators at regional level



    このPDFの配布先が見つからなかったので、もし興味が有る方がいたらメールかTwitterなどで連絡してください。個人的に送ります。




    欧州がストックホルム環境研究所(SEI)やポツダム気候研究所(PIK)に委託したレポートをレビューしながら、脆弱性評価指数の作り方を説明する。特に今回は「指数の種類と製作アプローチ」について書いてみる。このレポートの目的は、EUの地域レベルでセクター毎に、脆弱性評価を行う為に指数の製作とその方法を記述することである。脆弱性では、セクター毎に評価を行うかどうか議論があるが、セクターを超えた評価も、政策としてはセクター毎に落としこむ必要がある。地域レベルでなら、なおさら公的資金の配分などを考える必要がるので、このアプローチでも良いのではないかと思われる。別の味方をすれば、もしセクター毎に脆弱性評価を行うのであれば、仮にフォーカスが地域レベルでなくても、このレポートで記載されている方法論は有効であると思う。


    前半では指数の種類とアプローチについて書いてあるので、今回はそれを説明する。指数には大きく分けて二つのタイプに分けられる。

    1. 総計指数(Aggregated)
    2. 複合指数(Composited)

    総計指数とは、GDPや年間総雨量のように、個々の生産価値や日々の雨量を足す事で作ることが出来る。例えば、雨量の測定は共通単位のミリで測ることができるので、1ミリ+2ミリ=3ミリの様な単純な計算で年間総雨量による総計指数を作ることが出来る。しかし、複合指数はそうはいかない。例えば、干ばつ指数を作るとき、年間雨量(ミリ)、干ばつの期間(日数)等を考慮することが必要となる。この時、ミリと日数は共通の単位ではないので、単位を揃えるための「重み付け」が必要になってくる。極端で単純な例えだが、もし、年間雨量が干ばつ指数を作るのに、干ばつの期間の半分の情報しか与えないんとしたら、指数は以下のようになる:

    干ばつ日数1日+年間雨量2ミリ*0.5=2

    この場合、「2」の数字には絶対的な意味はなく、他の指数と比較した時だけに意味がある。


    そして、最終的な気候変動脆弱性評価のためには、総計指数ではなく、複合指数が必要になる。仮に干ばつを降雨量だけで導きだす総計指数にしたとしても、それだけでは脆弱性を測ることはできない。





















    何度かこのブログでも書いているが、国連の定義による脆弱性とは、干ばつなどの気候だけでなく(Exposure)、人口密度(Sensitivity)や収入などの適応能力(Adaptive capacity)も含まれる。最終的にはこれらの統一されていない単位の情報をまとめる必要があるので、複合指数によって、脆弱性をあわらす必要がある。

    そして、複合指数を作るための「重み付け」は相当気をつける必要がある。見てのとおり、複合指数にする事により、複雑なシステムを単純化して示すことが出来る。しかし、この指数の製作が科学的、客観的でない場合には、「重み付け」は政治的になってしまう。気候変動は不確定要素が多く、科学だけでなく政治的な問題になっているので、政治的に「重み付け」が作られることに実際はなってしまうだろう。しかし、それを完全に否定するのではなく、政治的にでも、「重み付け」が作られる過程を明文化することは意味があると考える。更に、指数の最終的な利用者が政策決定者等のスティクホールダーであるなら、協議をする事によって作られた指数のは彼らに受け入れられやすい物となるだろう。この方法で指数を作ることを規範的(Normative)と言う。


    他方、完全に科学的な検証を諦めるわけではなく、データに基づく、帰納的(Inductive)や理論に基づく演繹的(Deductive)な方法をできるだけ取り入れることが必要になる。実際、過去にEUで行われた脆弱性評価のプロジェクトでは、帰納的、演繹的、規範的である方法を織り交ぜて指数を作っている。それぞれの利点と不利点をまとめると以下のようになる。


    気候変動の脆弱性は完全に科学的に評価ができないが、それでもこの3つの方法を合わせることにより、より客観的で、より受け入れられやすい指数が出来上がると思う。




    2011年4月11日月曜日

    Storms of My Grandchildren 【私の孫が経験する嵐】 ~気候変動モデラーの願い~

    Storms of My Grandchildren.jpg

    Storms of My Grandchildren: The Truth About the Coming Climate Catastrophe and Our Last Chance to Save Humanity

    気候変動モデルで有名なジェームス・ハンセン博士が書いた気候変動の本がKindelから安く読めたので、偏っているだろうが、私の感想を書いてみる。本のタイトルを日本語訳すると「私の孫が経験する嵐」とでも、なるだろうか。最期まで読むを彼の切実な願いはよくわかります。Android携帯電話でスキマ時間に読んでみたが、この様な読み方でも問題ない本である。つまり、話はそれほど難しくなく、前後のつながりもそれほど気にする必要は無かった。私は気候変動に対する知識を既に持っているが、多分の多くの人に当てはまるだろう。

    気候変動に関する知識を得るには良い本だと思う。話の内容は、彼の専門分野である、気候変動モデルだけでなく、温室効果ガスの取引に関する事や、アメリカ国内の気候変動に関する政治にまで及ぶ。これは彼の専門外の分野なので、彼は学術誌などには投稿しない話である。しかし、彼は近年アクティビストとしても活躍しているので、彼の経験にもとづいた話はに引き込まれる。


    先の3つの分野に分けてまとめてみる。


    気候変動モデル

    これはハンセン博士の本職であるが、内容は「初歩的なコンセプト」と「一般的な間違い」を中心に書いている。例えば、氷河期が来ると言っている人がいるが、それは人間がいるうちにはおらないだろうとの話。これは統計的な話だけでなく、太陽の光は次の氷河期が来る頃には、もっと熱を帯びている事などからも考えられる。これに、温室効果ガスからの温暖化を考えると、人間が存在しているうちに氷河期はやってこないだろう。その他にも、気候変動の否定の話でよく出てくる話の解説がしてある。例えば、「空気中の水分の方が温室効果ガスより、影響度が高いが、それは増幅効果である事」や、「エルニーニョやラニーニャが無関係である話」も分かりやすく書いてある。



    温室効果ガス削減への対応


    色々は、実情が統計的にグラフ化してあるので分かりやすいと思う。例えば、産業革命以後の二酸化炭素の排出量を比べる為に、以下のようなグラフを使っていた(Figure 24)。





    西欧の国に比べたら、現在最大の二酸化炭素排出国の中国や、これからもっと伸びると言われているインド等の過去の排出量はたいした事が無いことになる。ここが途上国が、自国での二酸化炭素の削減に否定的である理由である。現在の先進国は、大量の温室効果ガスを排出して、発展してきたので、彼らがその責任を取るべきであるとの論理だ。現在年間第2位で、過去の排出量でも第2のアメリカに真剣味が無いことに、他の国がおこっている事もこれを見ればよくわかる。

    それから、ハンセン博士は市場を使っての、排出権取引に否定的である事が書いてある。排出権取引は世界の流れだからしょうがないだろうと、僕も思っているが、確かにこれに効果があるかどうかは、少し考えて観る必要がある。市場による排出権取引で温室効果ガスを削減する事の、一番の売り文句は「効率」である。効率的な会社が排出権を買い取ることにより、「効率」良く排出量をターゲットに持っていく。しかし、この方法は税金を使って、排出量を減らすより効率的であろうか?市場による管理では、金融機関が排出権を売り買いする。彼らには、大きな利鞘ある事はロンドンの友人を見てもわかる。市場全体で見たら、ファンドマネジャーの給料は取引費用であり、税金を国に払うのと大差ないのではないか。更に、排出量のキャップは政治的に決められるので、経済界が嫌うほどの排出量の削減を促すレベルにキャップは設定されない。そして、排出権取引では、目標以上に二酸化炭素が削減されることはないので、目標が低い場合、あまり意味をなさない。このあたりが書いてある章が一番面白いと思う。


    アメリカ国内の政治

    彼は、政府のアドバイザーの役をしているので、その辺りの裏話は面白い。実名がどんどん出てきて、会談や手紙の内容まで書いてある。この本では、アル・ゴアもオバマもドイツの環境省も全て、切っている。ハンセン博士にとっては政治的な駆け引きは必要なく、本当に削減をしてくれる政治的なリーダーが必要だということだろう。

    最後に、日本の政治や、原子力についても書いてあるので読んでみるといいですよ。日本語版だせばいいと思います。日本の巷で出ている、気候変動本より、面白く良く書けていると思います。僕でよかったら喜んで翻訳引き受けるのだけどな。

    2011年3月22日火曜日

    東南アジアの気候変動に対する脆弱性マップ ~自然災害の分析方法~




















    http://www.idrc.ca/uploads/user-S/12324196651Mapping_Report.pdf
     Climate Change Vulnerability Mapping for Southeast Asia

    今回はIDRC等が出している、東南アジアの気候災害(変動)に対する脆弱性マップをレビューしつつ、自然災害に対する影響評価の方法論をコメントをしてみる。この調査は、要点は押さえており、改善点も明確であるので、調査のスタートポイントとしては良い例である。


    前提条件と目的をを明確にする

    気候変動を含む自然災害は不確定要素が多すぎるし、影響も多岐に及ぶ為、前提条件を明確にして、調査の対象を狭める事が必要になってくる。同じように、調査の目的をはっきりする事により、フォーカスされた良いレポートになる。この東南アジアの脆弱性マップでの、目的と重要な前提条件は以下のようである:

    • 脆弱性評価を下記の前提条件で簡潔に作り、関係者に見せる事を目的としている。
    • 人口密度が多い所は、気候変動からの影響を受け易い。
    • 自然保護された地域のサイズは、生物多様性を図るパラメーターである。
    • 生物多様性が高いとは、気候変動からの影響を受け易い。
    • これらの状況は、今後悪くなる。
    個別に見て、証明しなくてはいけないものもあるが、帰納推理(過去の経験からの推測)これらの前提条件はそれほど悪くないものであろう。

     

    モデルの構成

    このブログでも、説明しているがIPCCが定義している脆弱性評価とは、物理的な気候災害に加え、影響を受け易い度合いや、適応能力を見る必要がある。下記の図がそれを表している。一番下のひし形が「適応能力」で、その上に「影響のうけやすい度合い」と「気候災害」が続く。

















    そして、適応能力を決定するためには、サブ構成は以下の様である。このブログでも紹介しているように、国連の人間開発指数や、収入、インフラ整備度等が含まれている。

















    どちらも図も重要な構成は捉えている。


    結果
    調査の結果、以下の様な図が出てくる。


    気候災害マップ

















    影響のうけやすい度合いのマップ
















    適応能力マップ
















     脆弱性マップ

















    最初の「気候災害マップ」と最後の「脆弱性マップ」は似ているが違いがある。それは、2番目と3番目の影響のうけやすい度合いや適応能力によりこの状況は変わってくる。簡単な例を挙げると、フィリピンは「雪崩以外の全ての自然災害」があると言われている。そして、日本は「雪崩を含めた全ての自然災害」がある。しかし、日本はフィリピンより、自然災害に対して脆弱ではない。それは、日本の方がフィリピンよりも、災害に対応するインフラが整備されているとか、金銭的な蓄えがあるとか、助け合う社会秩序があるなどの理由がある。


    災害がある事が、脆弱性であるとは言い切れない。


    影響のうけやすい度合いについて述べると、このIDRCの調査では、カンボジアは人口密度が低いため、脆弱性を下げるが、ジャカルタは人口密度が高いので、比較して脆弱性を上げることになっている。もちろんこの結果に異論があるだろう、しかし、この調査では「人口密度による脆弱性」と前提条件を出しての調査であるので、「人口密度」の観点からは大きく外れた結論ではない。これはこのブログで説明している「モデルが正しい答えを出すかの検証」をパスすることになる。ただし、前提条件が脆弱性を推論するのに正しいか、「正しいモデルを使っているかの検証」をパスしたと言えない。

    例えば、上の図で紹介している、適応能力のサブ構成では、専門家とのヒアリングから、均等ではない重みを構成に与えている。しかし、モデルの主構成は、災害度も適応能力度も同等な重みになっている。そして、洪水も干ばつも均等の重みが与えられている。これは、正しいだろうか?普段から雨量が多い地域は、干ばつより、洪水の方が重要度が高いだろうし、海の無いラオスで海面上昇は意味を成さない。つまり、「正しいモデルを使っているか」と言われたら、そうでだろう。脆弱性評価では、地域の特性を取り入れる分析、ボトムアッププロセス、が大事であると言われている。それを行う事が、この調査の改善点である。


    最後に

    今回、日本も地震、津波、原子力発電所事故で、自然災害の脆弱性が明るみになった。想定外の規模であっただろうから、「事前評価が間違っていただろう」とは簡単に言えないし、評価により全てのリスクを回避するインフラ整備をすることも間違っているだろう。今は、日本の適応能力も想定以上であると信じたい。

    2011年1月11日火曜日

    UNDPが気候変動の脆弱性評価ガイドブック ~モデルは必要なのか~

      "Guidebook for Planners on Mapping Climate Change Vulnerability and Impacts Scenarios at Sub-National Level"


    UNDPが気候変動の脆弱性評価を地図を使って分析する方法のガイドブックを出したので自分のモデリングに関する考えを混ぜながら、レビューしてみます。どちらか言ったら、自分の考えの方が殆どになってしまいました。レポートは正式には4つのパートに分かれているが、私は大きく分けて、3つに分かれていると思う:1)脆弱性評価のプロセス、2)脆弱性評価の方法、3)脆弱性評価の地図を元にした、適応策の分析。ここでは、特に1と2について書いてみる。

    このレポートでは脆弱性を以下の様に定義している:

    vulnerability (脆弱性) = exposure to climate hazards and perturbations (気候災害に対する露出)x sensitivity (敏感性)- adaptive capacity (適応能力)

    「敏感性」と「適応能力」は表裏の関係なので、これをひとまとめにしている場合もあるが、一般的な定義である。「気候災害に対する露出」と「敏感性」を加えたものは、災害分析と言われている。適応能力が引き算であるか割り算であるかは、議論の余地があるが、「適応能力」が「災害」からのインパクトを和らげることを調査することが、脆弱性分析になる事に国際的に異議はないはずである。

    例えば、「気候災害に対する露出」の分析とは、気温の上昇、降雨の変化、海面上昇などばどうなるか分析することである。「敏感性」の分析とは、現在の状況がどれだけ、これらの災害や環境変化に敏感であるかを調べる事である。「適応能力」の分析とは、変化に対して社会がいどれだけ変化出来るか調べることである。

    このレポートは脆弱性評価の地図を作るには4つのステップを踏む必要があるとしている:

    1. 過去と現在の「気候災害に対する露出」のトレンドとリスクを分析する
    2. 過去と現在の「気候災害に対する露出」にたいする「敏感性」を分析する
    3. 未来の「気候災害に対する露出」のトレンドとリスクを分析する
    4. 未来の「気候災害に対する露出」にたいする「敏感性」を分析する

    最初の二つのステップではは現実の確認されたデータを分析するため、データとモデルのエラー以上の不確実性は入り込まない。しかし、3と4のステップでは、「前提条件に基づいた、専門家の意見かモデルからの予測が入るので、不確実性が大いに入ってくる」。ここは大事なのでもう一度言ってもいい:

    前提条件に基づいた、専門家の意見かモデルからの予測が入るので、不確実性が大いに入ってくる」

    そして、この不確実性は決して消えるものではない。その不確実性の幅を少しでも減らすために、コンピューター・モデルを作るときに前提条件を建てるのである。その為、その前提条件が妥当であるかを調べることが重要になってくる。前提条件が妥当でない場合、間違いなく信ぴょう性のある結果は出てこないであろう。前提条件がまともであったとしても、モデルの未来予測は不確実性が非常に高い。

    日本語ではおなじになってしまうが、予測には「existence projection」と「forecast」では大きく異なってくる。例えば、農民の将来の気候変動に関する適応能力を評価する必要合った場合、「農民の適応能力が上がる可能性が存在する事」を予測(projection)する事はさほど難しくはないだろう。しかし、それが何時どれぐらい上がるかを予測(forecast)するかは非常に難しい。コンピューター・モデルによる後者の予測が不可能であるならば、モデルが出来ることは前者のprojectionである。しかし、この場合、モデルが必要であるか疑問の余地がある。

    Projectionが目的ならば、地域住民、政策決定者、有識者へのヒヤリングで同じ様な結果が出てくるのでないだろうか。この場合、コンピューター・モデルの使われ方は、意思決定のロジックが正しいのか確認などの方が有効だとおもう。その為、そのロジックを確認できなくなる程、モデルを複雑にする必要は私は必要ないとおもう。

    一つ例を上げると、フランスが海岸沿いの脆弱性評価の分析を行った時、複雑なモデルを使う前に、20名ほどの関係者を集めて、調査の目的と前提条件を明確にしている。そして、複雑なモデル(洪水モデル)に不確実性が大きい場合、経験則や専門家の意見を大いに取り入れた。そして、一番大事なことは、もし設定してある前提条件に変更が合った場合、それに合わせて調査を変更していける仕組みを作ることだと考えられる。

    不確実性だから、何もしないでもなく、不確実性だけど、複雑なモデルにこだわるのでもなく、そこは柔軟に出来るところからやっていこうという話である。この場合はモデルは、絶対的な意思決定をしてくれるものでもなく、意思決定サポートシステムでもなく、意思決定の条件や論理をチェックする仕組みであると考えている。

    2011年1月4日火曜日

    国連開発プログラムの気候変動適応策を探るツールキット ~因果関係分析の適用~

    国連開発プログラムが出している。気候変動適応策のガイドラインが評価に値するのでまとめてみる。


    "Toolkit for Designing Climate Change Adaptation Initiatives"
    Published by the United Nations Development Programme, November 2010.
    This guide supports the design of measurable, verifiable and reportable adaptation initiatives. It provides step-by-step guidance for the design of climate change adaptation projects.



    この手のガイドラインは方法論を明確に書いていないことがよくあるが、このガイドラインは方法論の概要を書いてあるので、そこから進めることが出来る。この方法論が使われる背景となる理論も、付け足して説明してみる。

    このレポートの方法論はプロジェクト・サイクルに基いて考えられており、サイクルは6つに分かれている:


    1. 問題の定義
    2. 因果の特定
    3. 基準となるレスポンスの特定と明確化
    4. バリアの特定
    5. 予想される結果の構築
    6. 評価とチェックリスト


    内容は、特別変わったことでもなく、一般の開発プロジェクトに似ている。そして、そこが重要な事である。このガイドラインは気候変動適応策は開発の一環としているのだろう。気候変動を開発プロジェクトに一体化するメインストリーミング化は、一つの流れなのでこれでも良い。ただ、そう捉えていない人たちもいるので注意が必要である。


    開発を中心に捉えているが、更に、そこからベースを何にするかによって評価・分析方法が変わっている。レポートで取り上げられているものは:

    1. 災害ベース・アプローチ:現在の災害への脆弱性とリスクをもとに、将来の脆弱性がどのように変化するか推定する。それを元に適応策をさぐる
    2. 脆弱性アプローチ:現在の脆弱性のしきい値がどの気候変動シナリオで弾けるか考える
    3. 適応能力ベース・アプローチ:現在の適応能力を測定して、そこから気候変動シナリへの弱点を探る
    4. 政策ベース・アプローチ:気候変動下の政策を検証する。



    この4点は似ているようで、違っている。まず、国連の定義では、脆弱性とは、災害に対する露出と適応能力のコンビネーションによって定められるとしている。1と3では、脆弱性と言っても、それぞれこのコンビネーションの片方に軸が乗っていることになる。それから、脆弱性も現在の脆弱性と将来の脆弱性を分けて考えられる。このレポートを読む限り、2は現在と将来の脆弱性を分けて考えていないようだが、本来分けるべきであろう。このレポートはこの4つのうちのどれかに焦点を当てて書かれていないが、開発を中心に考えてあるので、リストの下の方のアプローチに合わせて書いてあると考えられる。


    気候変動を開発プロジェクトにメインストリーミング化する流れの話なので、ツールの必然的に開発問題に合った物になる。この6ステップのサイクルで中心となるステップ2(個人的感想)では、開発プロジェクトで使われる因果関係分析が行われる。各国色々違いがあるが、大体に多様な分析方法となり、下記のようなグラフが出来上がる。



    木グラフの下の要因が上の問題要因の原因に成っている事を示している。そして、右のグラフでは細分化された要因群を、グループ化することに問題を整理している。この木グラフは因果関係に基づいているので、全ての関係はQ&Aの方針で説明できないとおかしい。

    このステップ2ができたら、後は肉付けの作業である。ステップ6のチェックリスト以外は、その後実用的な方法論も出てこない。まだ、適応策の分析方法が画一されていないので、国連開発プログラムが開発プロジェクト手法を適応策の評価手法として明確化したのは意味があるだろう。ただ、開発プロジェクトも評価も因果関係分析では、包括的に問題を捉えられないとか、ダイナミックに問題を見れないなどの批判もあるので、因果関係分析で画一される事もないだろう。

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