2012年7月31日火曜日

気候変動がインドネシアの稲作に与える影響―脆弱性という考え方(4) ~稲作に対する気候変動の影響~


1回2回3回との続きです。

稲作に対する気候変動の影響

インドネシアの気候変動の影響を、中期開発計画や国家行動計画を含む10冊の政策レポートから算出した所、農業に関して23の適応策が示されていました。これは、水資源、海岸、生態系、健康を含む5大セクターの中で一番多い数です。例えば、2007年に発行された国家行動計画には、「干ばつ早期警報システムの開発」の重要性が示されており、2011年度の第5大統領令は「気候変動の稲作への対応」に関してでした。この事から農業、特に稲作に対する気候変動の脆弱性を調べることは、インドネシアで優先項目である事がわかります。



インドネシアは、温暖であるため、2毛作から3毛作が可能です。通常バリ島では、雨季の始まりから、乾季の初めまでに、2回稲作を行い。その後、雨季が始まるまでに野菜を1回収穫します。水資源がない場合、2毛作行うことはできません。インドネシアは日本と同じように、コメが主食であり、現在の2億4千万の人口は、2045年までには3億人になるので、食糧を確保する為に、適切なコメ生産量を確保する必要があります。これはバリ島でも同じ状況です。




過去約10年で、水田収穫面積は7%減っているが、生産率が8%上昇したため、バリ島のコメ生産量は確保されています。つまり、技術革新等による生産率の上昇が、水田面積の減少に追いついていかなければ、生産量は下がってしまいます。





すでに、その兆候が見られます。FAO(国際連合食糧農業機関)の方式に基づいて水田の土壌・気候の適合性を見ると、降水量の減少の為、過去20年で、適合性は20%減少しています。つまり、生産効率が下がり、コメ生産量が最終的には減ってしまう可能性があります。



実際、バリ島の農家の方に、インタービューをしてみると、「水が少なく、減産せざるえない」と答える人もいました。






それでは、また後日続きを書きますね。

2012年7月28日土曜日

気候変動がインドネシアの稲作に与える影響―脆弱性という考え方(3) ~バリ島・稲作に関する気候~


前回前々回の続きです。

バリ島・稲作に関する気候

インドネシアのバリ島は赤道の南に位置しており、幅153キロ、縦112キロに広がっています。熱帯地域のバリは一年中30度前後の平均温度で、乾季と雨季があります。バリ島はインドネシアでも有数の稲作の生産地であり、東ジャワと合わせてインドネシア国内の22%のコメ生産をしています。そして、他の稲作地域と比べて、雨季が短いことが特徴です。例えば、北スマトラでは、雨季は9月上旬から、6月上旬まで続くの対して、バリ島の雨季は11月下旬から始まり、4月下旬に終わります。その為、インドネシアのコメ生産において、バリ島は、重要であるが水不足の災害にあいやすい地域と考えられます。








降水量は、平均すると月150ミリほどありますが、乾季にはほとんど雨が降りません。しかし、年によりばらつきが大きく、雨季に降雨が減少し乾季の様になることがあり、乾季に降雨が上昇し、雨季の様になることもあります。


そして、将来は雨季が更に短くなり、乾季が更に乾燥する事が予測されています。




特にバリ島の北部と東部は、干ばつを受けやすい地域と言われています。






続きはまたまた後日!

2012年7月27日金曜日

気候変動がインドネシアの稲作に与える影響―脆弱性という考え方(2) ~気候変動の影響と、脆弱性という考え方~



前回の続きで、今月日本で行ったセミナーの説明をします。






気候変動の影響と、脆弱性という考え方

地球が温暖化する事により、地球規模で気候が変動すると考えられており、既に多くの異常気象が観測されています。その結果として、干ばつ、ハリケーン、洪水等の災害が今までとは異なった状況で起こり、これらの災害は、農業を含めた人間活動に影響を及ぼします。つまり、これらの災害は、人々の脆弱性と関連しているので、気候変動への適応策は開発問題にも関連しています。アジア開発銀行が作成したレポートによると、東南アジアでもこれらの天候に関連した災害が増えると考えられています。しかし、「災害が存在する事」と、「脆弱である事」は、同じではありません。





例えば、フィリピンは「雪崩以外の災害は全て存在する」と言われております。そして、日本は「雪崩を含め全ての災害が存在します」。しかし、日本はフィリピンより、天候災害に対して脆弱であるとは言えません。それは、脆弱性とは、災害に対する暴露度(exposure)だけでなく、感度(sensitivity)と適応能力(adaptive capacity)によっても形成されているからです。この日本とフィリピンの比較ですと、日本は災害に対して、高い適応能力を持っているため、フィリピンより、脆弱では無いと言えます。この3つのサブ要素を全て含めた脆弱性は、実際に脆弱であるかシュミレーションを行なう必要があるため「結果による脆弱性」(Outcome vulnerability)と呼ばれています。一方、暴露度を考えず、感度と適応能力だけを見て、「潜在的は脆弱性」(Contextual vulnerability)を調べる方法もあります。「潜在的は脆弱性だけで充分だ」との意見は、天候災害(暴露度)を予測することが難しい為、シュミレーションを重要視していないことから来ています。





このスライドで消化した「21st Century Socioclimatic exposure」は失敗例として、一見の価値があります。何故か、米国と中国が一番脆弱性が高いことになっています。人口が多いことが必要以上に計算式に入っているのも一つの失敗の要因です。




脆弱性評価を行うための、私からの指針です。






それでは、また続きは後ほど!

2012年7月26日木曜日

気候変動がインドネシアの稲作に与える影響―脆弱性という考え方(1) ~気候変動の基礎~

あまり、日本語でセミナーをする事もないし、PPTを簡単に画像ファイルに変換できることもわかましたので、今月日本に一時帰国したときに、講演した内容を複数回に分けて書いてみます。

写真は基本的に自分で撮影したものですが、グラフト等は他のサイトから拝借したものがあります。分かる範囲で、リンクを載せます。




気候変動の基礎


初めに気候変動の基礎の説明を行いました。まず、気候と天気の違いを考えるには、以下の動画がわかりやすいです。犬のジグザグした動きが天気で、犬と散歩をしている人の動きが気候です。毎日の天気は犬の動きの様に頻繁に変動しますが、気候はこの人の足跡の様に安定しています。しかし、方向転換することだったもちろん有るわけです。



気候システムに変化をもたらす(強制)要因はいくつかありますが、地球エネルギーの収支は基本的にはバランスがとれています。地球の大気に入るエネルギーの総量はおよそ170ペタワットで、その太陽エネルギーの3割はそのまま、宇宙に反射放出され、残りの7割は地球に吸収されます(51%は大地、残りは大気及び雲)。しかし、吸収されたエネルギーもやがて、赤外線(熱)として宇宙に戻ることになります。得るエネルギーが失うエネルギーより大きければ、気温や海面温度が上昇することになります。

Wikipedia:地球のエネルギー収支


気候変動を起こす強制要因は、太陽活動の変化、大気の水分量の変化、大地の変化、地球の公転や地軸の変化、二酸化炭素(CO2)を含めた温室効果ガスの変化などがあります。大気中の温室効果ガスの濃度は、産業時代から上昇しており、その最大の要因は、交通、産業、加熱と冷却に使用される化石燃料の燃焼に由来します。数世紀にもわたって化石燃料から排出されたCO2、CH4、N2O等の温室効果ガスの放出により、気候変動を起こす強制力が増加してきました。特に、過去40年間の温室効果ガスの放出速度は、過去2千年と比べて、6倍の速さで増加しています。1750年以降の太陽活動の変化は+0.12 W/m2と言われており、同期間の人為的な温室効果ガスへの放射強制力が+ 1.6 W/m2である事を考えると、太陽の活動の変化は重要ではありません。また、最大の強制力を持つ温室効果ガスの水蒸気も、それ自体が温暖化の引き金でなく、他の強制要因が起こした温暖化の乗数効果です。その他、長期的には大陸の移動、短期的には土地利用の変化も、それぞれ地球規模・地域の気候変化に影響を及ぼします。そして、過去の気候変動は、樹木の年輪幅、海底の花粉化石の変化、極地の氷に閉じ込められていた酸素や炭素を調べることで確認されています。その結果、過去150年間の観測により、地球の表面温度は毎10年で0.05度上昇していることが分かりました。特に、過去25年間では毎10年で0.18度にのぼる急激な温度上昇になっています。


IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第四次報告書は、21世紀の地球の平均温度の上昇範囲を、グローバル経済の発展と技術変化に基づいて予測しています。二酸化炭素の排出が年率約3パーセントで増加している現時点でのシナリオでは、2100年までに4度の気温の上昇が予想されています。IPCCは平均気温を最大2度の上昇で抑えたいと考えていますが、それは温室効果ガスの排出を半分にしても不可能なシナリオです。その他、大気中のCO2濃度の変化にはタイムラグがある事も考慮する必要があります。本プロジェクトのバリ島でも、今世紀の中頃までには、平均気温が2度上昇すると考えられています。



その為、気候変動を起こす強制要因の温室効果ガスを減らす対応だけでなく、気候変動が起こってしまった世界に対応する対策が必要になってきます。温室効果ガスの削減による気候変動への対策を緩和策と呼び、再生可能エネルギーへの転換などが含まれています。一方、気候変動によって引き起こされた災害等への対応を適応策と呼びます。そして、適応策を決める上で、どの様な活動又は地域が気候変動から被害を受けやすく、被害に対応できないか正しく把握する必要があります。この被害を受けやすい状態を脆弱性と呼び、その評価能力を強化するために、JICAは「気候変動対策能力強化プロジェクト サブプロジェクト2脆弱性評価」をインドネシア政府と実施しています。














後ほど、続きを書きますね。




2012年7月8日日曜日

【書評】「村上春樹:走ることについて語るときに僕の語ること」を禅的に語る


走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
文藝春秋
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今年はじめてハーフマラソンに参加したので、この本を手にとった。この本の存在は知っていたし、複数の友人から「絶対いいから」と勧められていたが、ランニングをするまでは読む気にならなかった。この本の英語版は「What I Talk about When I Talk about Running: A Memoir Haruki Murakami」で、「村上春樹の回顧録(自叙伝、自伝)」というサブタイトルがついている。そう、この本は走ることについて書いているが、それ以外にも村上春樹氏の仕事の仕方、半生記、性格、考え方等が書かれている。

有名な本なので、わざわざレビューをする事もないが、読んでいて「禅ぽいな」と思ったので、禅的である部分に集中して書いてみます。


何も考えない=空

彼は走っている時に何を考えているかというと、「何にも考えていない」との事。ただ走っている。空白で走っている。彼はそれを意図してかどうかわからないが、禅の「空(くう)」と「空(そら)」とかけている。
走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただのゲストに過ぎない。それは通りすぎて消えていくものだ。そして、空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのほうな茫漠した容物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、飲み込んでいくしかない。(p.32)

無であり、有である。それが空。村上春樹氏の説明はそれこそ禅の空でした。この「走っているときに何も考えない」の感覚は、彼が100kmのウルトラマラソンに参加したときにも出てきている。100Kmマラソンの最後の20Kmを下記のように示している。

文字通り「機械的」に反復する。そして自分の感知する世界を出来るだけ狭く限定しようと努める。・・・その先を考える必要なない。空も、風も、・・・真実も、過去も、記憶も、僕にはとってはもうなんの関係もないものごとなのだ。ここから、3メートル先の地点まで足を運ぶーそれだけが僕という人間の、いや違う、僕という機械のささやかな存在意義なのだ。(p.151) ・・・75キロのあたりで何かがすうっと抜けた。・・・「抜ける」という以外にうまい表現を思いつけない。まるで石壁を通り抜けるみたいに、あっちの方に身体が通過してしまったのだ。・・・それからあとはとくに何も考える必要はなかった。(p.153) ・・・自分が誰であるとか、いま何をしているだとか、そんなことさえ念頭からおおむね消えてしまっていた。・・・行為がまずそこにあり、それに付随するように僕の存在がある。我走る、故に我あり。(pp.154-5) ・・・しんとした心持ちだった。意識なんてそんなにたいしたのもではないのだ。そう思った。(p.156)

「以上が悟りを開いていく過程です」と説明されたら、「そのですか」と頷いてしまいそうです。まず、意識を「今」に集中して、そして、「それ」を考える必要すらなくなり、「自分」の概念が消えて、最後に「意思」が消えてしまう。

私もオーストラリアの砂漠を自転車で渡っていた時、次の街に着くまでに水がなくなりただ淡々とペダルを回しでいたときに、似たような感覚になったかな~と思いますが、20年も前のイベントでしたので定かではありません。その後は、似たような感覚があったかどうかわかりませんが、この感覚を日常的にできることが悟りを開くことなのでしょうか?私にはまだわかりません。

話をレビューに戻すと、集中と持続することは走るだけではない事が読み進めるとわかります。


才能、集中力、持続力

長い間小説家として生きていく事を語ってる所も興味深かったです。才能の次に大事な資質は、「集中力」と述べています。才能と違い、集中力は鍛えられる。村上春樹氏は、朝に3時間から4時間仕事をするだけのようです。短いと思うかもしれませんが、彼の業績を考えると、ダラダラ仕事をするより、一点に集中して他事を考えずに、4時間仕事をする事は、ダラダラと8時間仕事をするより、良い結果を生むのでしょうね。

その次に大事なのことは、持続力。日々の集中力を半年も一年も続けれれる能力も長編小説家には求められるっていうか、誰にでも求められる能力でしょう。集中力が「じっと深く息を詰める作業」で、静かにゆっくり呼吸していくコツ」が持続力と例を上げておりますが、そのまま禅堂で座っている時の様子でもあります。

この持続力も後から、トレーニングで鍛える事ができます。彼が走る理由がココに有るわけです。何度も何度も同じ事を繰り返し、断続して情報を身体システムにおくり、それを叩きこみ、少しずつ限界値を上げていく。マラソンのトレーニングの一環であり、彼の仕事の姿勢であります。


まとめると

この自伝を読んで、村上春樹氏のメッセージは:

一点に集中する事が出来なけれが、何も達成することは出来ない。目の前に有ることに(村上春樹氏の場合は日々の小説執筆であり、毎朝のランニング)に集中して、全力でこつこつと一歩一歩進んでいく。そして、それを出来るだけ長い時間続ける事を心がける。しかし、それと同時に、「今ある物で何とかやっていく」事を学ぶ。「全力を尽くしたなら、いいじゃないか」って思う。

まるごと禅道だとおもいました。私も集中力と持久力を鍛えたいと思います。しかし、村上春樹氏のように、毎日できない人もいるでしょう。そんな人にもう一つ私からのアドバイスがあります。それは、「一度やめてしまっても、もう一度始める」事です。日記などが続かない理由は、「中断した後に、再起しない」からです。単純ですが事実です。そう、丁度この不定期ブログの様に、続ければいいのです。

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