2009年5月31日日曜日

気候変動の不確実性

ヨーロッパから環境事情 (オックスフォードの環境博士の日記): "それから、起こっているかどうかわからないので、何もしなくても良いわけではないです。不確定性をどの様に解釈するか、どの様に伝えるかなど、考えることをたくさんあります。確かに、気候変動が起こっているかもしれない事を考慮してそれに大きめに対応することを大事でしょうし、その為にはある種のプロパガンダも行われるでしょう。しかし、これは政治家の仕事ですし、「適応策」の話でもありません"


昔のブログで、誤解を招いた「気候変動の不確実性」の話だが、やはり不確実性は消すことはできない。

ScienceDirect - Global Environmental Change : Strategies to adapt to an uncertain climate change: "Second, uncertainty in future climate makes it impossible to directly use the output of a single climate model as an input for infrastructure design, and there are good reasons to think that the needed climate information will not be available soon. Instead of optimizing based on the climate conditions projected by models, therefore, future infrastructure should be made more robust to possible changes in climate conditions. This aim implies that users of climate information must also change their practices and decision-making frameworks, for instance by adapting the uncertainty-management methods they currently apply to exchange rates or R&D outcomes. Five methods are examined:"


このあたりが理解できていないと、長期的な分析は意味はない。

2009年5月29日金曜日

サーフィンと個人主義

オックスフォードでは、大好きなサーフィンがほとんどできなかったので、日本に帰ってきてからは思う存分サーフィンをしている。この島ではサーファーみんなが顔見知りなので、常に「友達だけ」でサーフィンをしている状態なので気持ちがよい。

昨日も波よし、今日もよし。明日はあのポイントでぐりぐりのチューブが巻いているかもしれない。

サーフィンは個人種目のスポーツだけど、競泳やマラソンとは違い完全の「個人」のスポーツではない。波という自然が作り出す限りある資源を他のサーファーと分かち合い共有しなくてはいけない。さらに、サーフィンでは「地元優先」といった社会的ルールが存在する。そのため、一人で勝手にやれるスポーツではない。

サーフィンを通じて自然に関わるだけでなく、他人を尊敬(レスペクト)したり、譲り合いや共有する事を学ぶことができることはサーフィンのすばらしい所だと思う。

西洋社会に10年以上も生活していたので、かなり個人主義な思想をもっていたと思っていたがが、サーフィン中心の生活ができていなかったせいかもしれないと、友達と波待ちしながら思った。

2009年5月28日木曜日

ビーチのごみと環境観

離島暮らしをしているので、ほぼ毎日砂浜に来る。今日もじっと息子の砂遊びに付き合っていると、砂浜のごみが目に付く。

砂浜のごみはある意味ごみだらけである。貝殻に、木片に、ガラス玉に、プラスチックになどなど。

ちょっとまて、以上のリストに本当にごみと考えられるのはプラスチックだけだろう。貝殻は自然界のごみであるが、ごみだとは考えられないし、流木や角の取れたガラス玉は「ビーチの宝物」である。つまりこうである。

  • 自然界のものは=ごみでない。
  • 人間の出すもの=ごみである。

さらに、ガラスや鉄など自然界に存在するものはまだましなのである。プラスチックや釣り糸などの化学的に作られた「石油製品」が「King of ごみ」と見られる。

以前のブログなどでの書いていた、「人間の主観的な環境観」である。

これはこれで問題ない話だが、突き詰めるとこれも問題があるはなしである。プラスチック系のごみで心配するひとつはは「環境ホルモン」である。今はそれほど話題にならないが、一時期異常なまでの報道がなされた。日本の環境省もプロジェクトを立ち上げて問題を調べた。

結果は、「人間にはあまり影響がないので多分大丈夫」である。


それなら、よかったよかっただが。そうでもない。この結論も「人間の健康のため」の「主観的な環境観」であるが、動物の影響がある結果も出ている。そのあたりの動植物を守る「主観的な環境観」も出てこないのは問題ではないでしょうか。

2009年5月26日火曜日

蛍の大群

昨日友人に教えてもらった蛍のスポットに行ってみた。

数千の光が乱舞する未知との遭遇でした。数え切れない数の光が淡くシンクロするように、ついては消えて。始めてみる光景でした。

息子も初めて見る景色にたどたどしくも「すごくきれい」と言っていました。蛍が彼の足に止まった時は、じっとして動かずに蛍が飛び立つまで待っていた。帰りにその事をまたたどたどしい言葉で説明してくれた。

数千の光は感動させるだけの力を持っているが、写真に残るほど強くはない。オスの寿命は一週間もない。いつでもこの数千の光が見れるわけではないが、長期的に個体数の上下はある。もうすでに、川の側面はコンクリートで固められていた。なんだかこのコンクリートの壁が日本の川のスタンダードになっている気がする。「土の壁の川」には動植物が沢山生息している。オックスフォードのようなところでも同じである。この部分はオックスフォードが懐かしいと思う部分ですね。

将来までこの蛍の光を残せていけたらなと思う。

2009年5月22日金曜日

離島の経済学2

この島で友人のビジネスプランの相談に乗った。興味深く、やれることなら参加と手伝いを続けたいと思う。

話して気づいたことは、東京への憧れは捨てるべきだと思う。ミニ東京もしくはミニ京都を目指しても、結局東京にも京都にもかなわない。だから、結局みんな東京を目指して、東京に一極集中してしまう。

単一化する、「質の良い労働者」を目指す教育を受けてきたので、これはしょうがないことなのかもしれないが、今からでも地方の「人とは違っても良い価値観」を持っていこうではないか。


インターネットの世界は自分達で情報を発信していけるのし、誰かがその情報を受け取ってくれていると思うので、ニッチな本当の自分の勝てる事で勝負するべきだと思う。

東京のスマートなオフィスを模倣するより、島の小さな工場から生まれるベンチャーのほうが数段かっこよいと思う。

2009年5月7日木曜日

離島生活の経済学

離島生活を始めたが、始めてすぐに息子が病気で本土で入院することになった。交通費だけで、数万円。離島に帰れないので、入院費と付き添いの滞在費を考えると一週間でかなりの出費となる。

僕はある意味離島生活を選んできたので、文句は言えない部分があるが、離島で生まれ育った人は不公平に考える人もいるだろう。何でもかんでも、「国が補助しろ」と言うのが好きではないので、フェリーに乗りながら、民間でどうしたらよいだろうと考えてみた。

最初に思いつくことは保険。これらのことを保険に組み込む。もし、明確に説明する義務が無いのなら、運送費のように離島料として、上乗せして自動的に本土への医療にかかわる費用にも保険がかかるようにしても良いのではないかと思った。

なかなかいいアイデアかとおもったが、離島からの本土に行かなくては行けない医療の場合にも思ったほどお金がかからないことが判明した。親戚が近所に住んでいるので、そこで泊まらせていただいている。お昼も何度か作っていただいた。彼らが、離島に来たときは同じような出向かいを受ける。このもちつもたれつの関係はGDPなどの経済効果しては測定されない。もらい物、助け合いなど、貧しくてもやっていける経済が離島にはまだある。これを無理やり金銭かする必要は無いが、グローバリゼーションの中でもいろいろと問題もありますね。

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