日本の全ての予定を終わらせて、一つ楽しみにしていた事は、抱井さんに会いに行くことだった。時間が出来たのと、通り道だったので寄らしてもらう事にした。
僕が壱岐に滞在した時に、抱井さんが雑誌の取材で壱岐にこられて、知り合いになる事ができました。サーフィンの長嶋茂雄といったところでしょうか。生きるレジェンドです。もう何度もお会いできないと思いますが、お会いすると緊張で早くその場を離れたくなってしまいます。
今日も天気が良かったのと、僕はいつも荷物が少ないので、荷物をコロコロと引きながら、抱井さんの工場まで歩いて行ってきた。
サーフボードの修理をする準備をされていました。
このサーフボードは、80年台のサーフボードで表面の樹脂が剥離してしまったので、修理をされるそうです。ものすごく速いそうです。
「サーフボードって30年も持つんですね」って聞いたら、「いや持たないから、修理している」っていっておられました。その通りですね。
しかし、パタゴニアが批判しているように、近年の「半年 or 1トリップ・使い捨てサーフボード」より長持ちしているのは確かです。スポーツとしての究極のサーフィンを目指すのも良いので、それが悪いわけではありませんが、30年間修理しつつ使うのも味がありますね。
参考:何て散らかり方なんだ:プラスチックによる公害の前に存在していた世界を思い出そう - パタゴニアのブログ「クリーネストライン」
by ジェリー・ロペス
ここにも、ヤスノリ・カカイとして、抱井さんも移っていますね。
昨日書いたそんなライフスタイルなサーフィンの為の究極のサーフボードって、前出のVinceさんのサーフボードなのでしょうか。もちろん、抱井さんのK-shapeのボードも長く使われているボードだと思います。僕もイメージが湧いたらいつか欲しいです。(実は、僕はいつも中古ボードばかりです)。
この板もすごい古いボードで、サーフボードのの裏が平らでなく、球面になっています。それにより、水面に張り付きすぎるそうです。それでも、修理して乗られる予定のようです。アスリート系のスポーツではない、サーフィンはそういう事なのでしょう。
抱井さんにどこに行きたいですかと話をしたところ、インドネシアの西の端のアチェがすごく良かったと言っていました。
日本の冬が、アチェのベストシーズンらしく、サーファーも車も全然ないそうです。道は、スマトラ地震・津波以降にアメリカによって作られたそうです。
抱井さんはお酒を飲まれない方で、イスラエル圏のどんちゃん騒ぎがないことが気に入っているようでした。ジャカルタまで来ると、イスラエル圏でもどんちゃん騒ぎしますが、アチェはもっとイスラム色が強いのでしょう。
僕が初めてのインドネシアに来た時は、20年前でした。その時は、ニアス島ではロスマンでご飯を食べれば、宿はタダでした。電気も水道も無く、日が沈んだら寝る生活は良かったです。インドネシアは探せばまだそんな所が残っているんでしょうね。
日本の冬は、僕が住んでいるバリの西側ではオンショアになるため、サーフィンにはオフシーズンになります。だから、今度の冬にアチェに行ってみようかな。それとなしに、抱井さんに「同行させてください」と頼んでおきましたが、あまり押しすぎてもダメですよねっと。