2009年9月19日土曜日

寄付された靴の行方と開発の「押し付け」

確か、日本を離れる数週間前にQちゃんが靴をアフリカの子供達に寄付する内容のTVを見た気がする。そんな事を今朝モザンビークのマプトを歩いていて思った。

世話をしているモザンビークの修士生に連れられて街を歩いていた。

彼が「靴がほしい?」 「ヨーロッパから来ているいい靴があるよ」といって指したところには、道端に靴を広げているブラックマーケットがあった。海外から寄付された靴は貧困に回らずに売られている。何人もが同じような事をしている。

本来行くところに物が回らないのが、途上国である。

しかし、それほど問題だとは思わない。ブラックマーケットをしている人たちも、裕福層には見えない。貧困層も寄付された靴を売ってしまうらしい。靴よりももっと必要な物を自分の判断で買うのだろうか。

開発関係の仕事をしていて、「何の為の開発なのか」と思うことがある。靴を送るの悪くはないし、靴の作り方をおしえるのも良いと思う。ただ、「意味無く」結果を「押し付け」ているのは問題だと思う。全てはお金のためなのか?

そこで、「環境」や「持続可能」などの理念が入ると「押し付け」に「意味がある」様になるのではないかと最近思う。

少し、まともなはなし。



関係ないが、その後排気ガスが充満している小型船に乗せられて湾を越えたが、あれは堪えた。未だに気分が悪い。


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