最近、20年前の豪州一周記ばかり更新しているので、本業の気候変動に関してもがっちり書いてみます。
年末行事である気候変動に関する政府間パネル(IPCC)のCOP19も終わって、そろそろ年越しそばが恋しくなる時期になりました。19回も続いている国際会議の事を書くと、「年々、重要度を増し」等の枕詞が来るものだが、残念ながら気候変動のCOPに関しては、「年々、悲観度が増し」や「年々、参加者が減り」の枕言葉が伝えれれているだろう。
気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change、略称:IPCC)は、世界気象機関(WMO)の1組織で、国連の枠組みに入ってはいるが、正式の団体ではない。重要な参加者は、国連の職員やコンサルタントではなく、世界各国のこの道のプロ研究者である。元々は、学術的に気候変動の知識をまとめあげる組織であったが、近年政治的になりすぎて、科学的な知見を超えていそうな部分も有る。2007年にアル・ゴア氏と共にノーベル平和賞をもらって、2009年のコペンハーゲン会議で一気にメージャー・デビューしてしまったのがいけなかったのだろうか。ノーベル平和賞は、オバマ大統領がもらった時に、死んでしまったと思う。クライメートゲート事件と言われる、レポートの不正とも捉えかれない部分も明るみになり、反動で科学的な検証に重みを持つよう再度したと思うが、純粋な学者の組織ではなくなっている。数年に一度、気候変動に関する知見をまとめたレポートをだしており、私も参照されている論文を提出したり、簡単ですがレビューをさせて頂いております。
IPCCは、元々は1992年のリオの地球サミットで採択されて、現在まで形(解釈)を変えながら存続している気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change)とは別物ですが、今はこの条約を取り扱う組織としても存在してる。略称であるUNFCCCの最後のCCCはトリプルシ~を発音するのが通です。この条約は、二酸化炭素や家畜のし尿から出るメタンガスなどの温室効果ガスが大気温度の上昇と人類と自然環境に影響を及ぼしていることを取り仕切る条約です。最近では、悪影響だけでなく、好影響も判断すべきだとの話も出てきています。
話をCOPに戻すと、気候変動問題は収縮しているわけではないが、一時期の盛り上がりは既に無い。熱が覚めたを言われて、アイドルのライブを見るような熱狂的なファン(主に気候変動と関係ないNGO)は去ったが、矢沢永吉のライブに来るような固定客は継続して参加してきた。しかし、今回のCOP19は後者のいぶし銀の参加者たちの多くも参加していないように思える。僕の周りに関しては確かにそう。
気候変動のブームの絶長期は、オバマ大統領も参加したコペンハーゲンのCOP15だろう。あの頃は、オックスフォード大学の環境系修士生の80%ぐらいが、二酸化炭素削減関連のコンサルタントに引き取られていった。当時は、二酸化炭素を株式を売買するように、投資銀行の参入も熱かったです。炭素を資源と捉えると、「株式」ではなく「金(ゴールド)」の方が正確な比喩ですね。当時の期待値は、今のBitcoin (ビットコイン)のようでもありました。今は、二酸化炭素の排出権の価格はどん底です。その為、取引からの収入を資金の一部にしていた気候変動の適応策への資金ぐりも厳しくなってきていると思う。
今後の国連の枠組みを使った気候変動の取組はどうなるのだろうか。今後盛り返してもらいたいと思うが、状況は二国間又は、同意する一部のグループの中で進むのではないだろうか。COP19で合意された唯一といっていい成果の、再生可能エネルギーと省エネルギーの技術の促進で、個人的には国連の枠組みが無くても進む分野だと思う。再生可能エネルギーと省エネルギーは同業者もしくは他のエネルギー業者利益を取り合う様な状況でもないし、ビジネスとして成り立つので、先進国も途上国も同様に利益を得られる。つまり、みんなで取り合いをするパイはどんどんこれからも膨らむので、これを促進することに反対する人はいないだろう。
難しいのは、既にパイの大きさが決めっていて、更に小さくしようしている二酸化炭素の排出権の取り合いである。京都議定書が合意できたのは、先人たちの努力もあるが、仕組みの簡素化と、「削減する先進国」と「文句を言う途上国」という簡素な世界構造が会ったからだろう。いまは、検証等を含めて排出量の削減は簡素ではなく、世界構造も「だれもが二酸化炭素の削減をしなくてはならず」、「誰もが文句をいっている時代」なので、先進国と途上国と単純に2つに分けて捉えることができなくなった。実際、COP19でも、インドや中国を中心としたちょっと金持ちな途上国グループもあれば、最貧国グループ、同じ考えを持った途上国グループ(Like-Minded Developing Countrie)なんてものもある。まるで、日本のプロレス団体の立ち上げ、もしくは日本の新党ブームのようである。これでは、民主的物事は決めることは大変時間がかかり、二国間で個別の気候変動問題に取り組むことになると思う。
国連の立ち位置もはっきりしない。IPCCは正式な国連の組織ではなく、国連環境プログラムもシンクタンクの様になってきていて、役割がはっきりしない。国連開発プログラムも、グリーン経済などに関心事をシフトしていく可能性が高いと思う。しかし、中心となる組織が無くても、気候変動の問題は進んでいくので、誰かが活動をする必要がある。
この場合、今後はもっと政府開発援助(ODA)の枠組みをつかった活動になるのではないかと思う。二酸化炭素削減や再生可能エネルギーの技術協力と適応策の為の能力強化は、既存の途上国の支援として充分に考えられる。適応策でも止らない「損失と被害」に関しては、それこそ災害対策なのでODAそのものである。ODAの枠組みで、気候変動を取り扱えば二国間での作業になるので、スパゲッティ状に入り組んでしまった国連の枠組みに縛られることもないし、援助組織も新たな活動セクターができて、彼らのビジネスの促進にも繋がる。途上国をしてみれば、これが国連の枠組みなのかODAなのかは、問題では無いだろう。今までも、国際的な気候変動の活動は、ODAを通して行なわれてきたので、現場で働く人にはなにか変わるわけではない。ただ、中心となる枠組みがないまま、今後も進んでいくのではないかとおもう。それは、ある意味気候変動問題が、他の開発問題の様にメインストリーム化したとかんがえられるので、それほど悪いことでもないと思う。
来年の今頃もCOP20が行なわれて、また進まない議論の結果を聞くことになるような気がする。私の予想は外れて欲しいが、別の枠組みも真剣に考えだす段階かもしれない。